横浜松坂屋閉店

 仕事のあと、はやしまるで塩ラーメンを喰い、ジムで5000メートル泳いで帰った。古本屋から取り寄せたケネス・バークの本をめくる。最初の単著を書いていた岡山時代に、図書館を探しまくり、結局東京大学の英文学教室にあることがわかり、だめもとで「複写して、すぐ返すから、貸してください」と言ったら、親切な助手の人が一ヶ月ほどの貸し出しを許してくださった本だ。あの頃はネット検索もないし、インデックスを駆使し、めぼしい図書館をまわり、カードをくり探さなくてはならなかった。購入する場合は、目利きの古本屋の人とかと懇意でもないかぎり、ブックインプリントをみて、もうだめぽとため息をついたりしていた。外国の大学に顔の利く人などは、もう仏に見えたりした。それがいまは、ネットでワンクリックで買える。古本もワンクリックだ。そして届いた本は、海外の古書店経由だった。今の人は恵まれていると思ったが、よく考えてみると、昔はたいした業績になったようなことが、今ではごくあたりまえになってしまっているわけで、研究競争が苛烈になったと言えるかも知れないなぁ。などと考えて、ネットのニュースを見ていて、ショッキングゥだった。

横浜松坂屋:10月で閉店…144年の歴史に幕


 J・フロントリテイリングは24日、松坂屋の子会社、 横浜松坂屋横浜市)を10月26日で閉店すると発表した。業績低迷や建物の老朽化が理由で、144年の歴史に幕を降ろす。昨年9月の松坂屋と大丸の経営統合以降、初の百貨店撤退となる。閉店後は、複合施設を建設するという。


 横浜松坂屋は1864年、横浜の中心街だった伊勢佐木町呉服店として創業した老舗。人気デュオ「ゆず」が店の前で路上ライブ活動をしていたことでも知られる。しかし、売上高は92年2月期の約300億円をピークに減少。08年2月期には約87億円に落ち込み、累積赤字は22億円に達していた。


 松坂屋の茶村俊一社長は記者会見で「大型百貨店が集中する(西区の)JR横浜駅前や、みなとみらい地区の再開発との競合を考えると、百貨店業は難しい」 と述べた。
【五味香織】
毎日新聞http://www.mainichi.jp/select/wadai/news/20080625k0000m020096000c.html

 私はここのところこの百貨店でお中元、お歳暮を送ってきた。実は一昨日も送りにいってきたところだ。送るといっても、岡山時代お世話になった同僚2人にだけだが。休みの日にここの食堂や喫茶を利用し、デパ地下で食品を買うのが楽しみだった。というか、子供の頃からのことを考えると語り尽くせないことがある。いまだに私はここを野澤屋と呼んでいる。昔々は横のビルは銀座にもある松屋で、繁栄する野澤屋がこれを併合したりした。
 食堂は、一家で食事をしていると、テーブルの横に行列のできるほどのにぎわいだった。ボーナスが出ると、ブラウスやセーターを新調する親子連れでにぎわっていた。当時ブランドもへったくれもなく、野澤屋で買ったセーターとか、ブラウスとかいう感じでものを買っていた。いまだにそういった昔のデパートの枠組がガッツリ残っている。信用勝負だから、正規雇用の古参の店員も堅持してきたのではないだろうか。それは、いまだに多いように思う。そして、建物はレンタルではなく持ちビルなのであった。
 伊勢佐木モールも、昔は横浜の買い物の一つの中心であったわけだが、今は安売り店などがずらっと並んでいる。ストリートにたむろしているのは、鬼多国籍な人々だ。にぎやかでワクワクする街だと思うけど、そこにコンセプトの古い百貨店はイマイチ君になってしまったということだろうか。一時ユニクロが入ったときはにぎわっていた。しかし、ユニクロは目利きで、数件隣に空いたビルを全部ユニクロにしちゃって移動した。もうこうなったら、巨大ドンキにしてしまったりしたら、笑えるが、あれだけ広いのがドンキになったら、防災的にどうなるかはわけわかめなものがある。