三浦展『igocochi』

 今日は大学に出て仕事。非常勤の他大学は、どちらも連休で休講なのであった。うちの学校は、もちろん授業があるし、学生は普通に来ている。しかも、アブセント、いやむしろゴーストと異名をとった椰子まで学校に来ていて、部屋に質問に来た。ものすごい連休にはさまれて、一日ぽつんとある場合だけは休講にするという新しい規定ができたものの、前はそれでも授業はあった。仕事をし、郵便棚を整理していたら、三一書房から書籍が届いていた。大月書店、プレジデント社なども驚いたが、三一にはぶっ飛んだ。気合い入った奴がいるなぁと思ってあけたら、な、なんと三浦展氏だった。
 書簡が添えてあった。本書は、「念願の写真集」であるという。ずいぶん前に、彼が個人誌を刊行していた頃、「写真集出すからな」みたいなことを言っていたような記憶もある。それからもうだいぶたつ。「私が主に1999年から2001年にかけて、原宿、高円寺、下北沢、吉祥寺、あるいはベルリン、ホーチミンなどで撮影した“若者の街”の風景をまとめたものです。約1万枚を超える写真から、120枚ほどをセレクトし、若者が“いごこち”がよいと感じる場所を集めてみました。素人写真ですので、写真集と呼ぶのはおこがましく、考現学と言ったほうが正確と思います」とのことである。
 かつて『アクロス』誌には、きゃっちぃなコピーと、事例と、単純明快なデータなどがあふれていて、迸る感性から消費動向を読む手法は、イメージマーケティングなどと呼ばれた。その誌面において、もう一つ欠かせないのが、写真やイラストの類だろう。本書は写真を用いて、――あったりまえだった時代を生きてきた者にはいんくれでぃぼーなことだが、「若者と仕事」が問題になっている現代社会においては逆説的な意味あいを帯びている――「若者と消費」「若者と遊び」という問題について、「若者のいごこち」というキャッチコピーを用いてまとめたかたちになっている。カルスタなストリート研究と漸近(??双曲線みたいなかんじ??)するような絵面のページというカンジもあって、興味深い。三浦氏が、クリスタルな人々との路線対立から学生誌の編集から集団撤退したことを思い出した。ベトナムの写真を入れているのも興味深い。下流ロハスボボスを通底するいごこちのよさを描き出し、若者論に一石を投じると同時に、マーケティングや商品開発などへの問題提起を行っているようにもみえた。

IGOCOCHI

IGOCOCHI

内容紹介

 三浦展の最新刊が「igocochi」…?  TOKYO STREET FILE 1998-2006 考現学的カラー写真集、早くも大反響の予感!? 08年のキーワードは「居心地」、いや「igocochi」で、もう決まり!


 …時は西暦2000年前後、「ロスジェネ世代」や「ジェネレーションY」の青春がつまった東京の路上を、延々とひとりで撮り続けていた男――三浦展! それら写真映像や資料をもとに、あの大ベストセラー『下流社会』は執筆されたのだった! いわば「(非?)下流社会・資料編」の登場。 高円寺、西荻窪、下北沢、代官山、原宿……などなど。特殊ギミックアイコンで写真をガイド。


 都市の近過去と近未来そして写真を語る三浦展の豪華「ダブル対談」を付す(対訳英文つき)。成実弘至:京都造形大学准教授 社会学。宮下マキ 写真家 『部屋と下着』など

著者について

消費社会研究家、マーケティング・アナリスト。消費・文化・都市・建築などを広く射程にしたシンクタンク、「カルチャースタディーズ研究所」 代表。
1958年生まれ。一橋大学卒。主な著書に、『下流社会』『下流社会 第2章』(光文社)、『「家族」と「幸福」の戦後史』(講談社)、『ファスト風土化する日本』(洋泉社)、『吉祥寺スタイル』(文藝春秋)などがある。最新刊に『日本溶解論』(プレジデント社)。
(アマゾンHPより)

 アマゾンで調べたら、下のような紹介文があった。こういうものも出すということなんだろうね。芳賀書展だって、ビニ本で儲けて、売れない本出していたわけだし。ただ、アマゾンの紹介文を読むと、三一ということで、ものすごはしゃぎようにみえてしまう。なんか、地方の元気いっぱいバラエティ(朝青龍似と言われて、ウィキペディアの記事には朝青龍のHPへのリンクまで貼ってあったという元ゼミ生のアナがやっていたモーモーなんちゃらみたいなの)みたいな感じすらする。これが、パルコ出版とかなら、そうは思わなかったと思う。
 投資機会保障のためのフレックスを考究する山口勝業、消費と生活の観点から現代若者を考える三浦展、モハメド・アタの追跡取材を行ったあと、あるクルド人家族の笑顔からクルド人問題を浮かび上がらせた古山順一、そして何人かのぶいぶいゆわしている研究者たちなど、かつて机をならべて勉強した人々の活躍は、大きな活力となる。そうした人々が少なからずいることは、数少ない自慢できることのひとつである。