メルッチ『プレイング・セルフ』

 なんかよくわからないのだが、高級なすき焼き丼、牛丼の類が無性に食べたくなっている。昔からこういう衝動はあり、鬼高い牛肉を買ってきて、情け容赦なくどんぶりにして、喰ったりしていたが、そういうものの本格的なものの味というのはどういうものなんだろうということも興味があり、検索してみると、叙々苑、今半、あと飯田橋の一件がヒットした。写真を見る限り、飯田橋のが美味そうだ。東京体育館に行くときに喰ってみようかと思っている。食事療法を始めてから、やたら金がなくなる。食事療法にはけっこう金がかかるのである。腹を空かしていることの代償に、そこそこ美味いものを食べることが、キレないためには重要なことだからだ。なんともくだらない人間になってしまったなぁとつくづく思う。
 なんかものぐさで、郵便物が堆積してゆく。自宅のやつをようやく整理した。新原道信さんから、メルッチの訳書が届いていた。しゅ〜矢澤退官記念プロジェクトYで知遇を得て以来、ご配意いただくことも多く、ただただ恐縮している。ありがとうございました。<バウマンの訳者>となった長谷川啓介さんが共訳者となっている。メルッチは、新原さんの「師友」であり、アンナ夫人とも研究交流を重ねながら、訳業を完成された。10月にはミラノのメルッチ記念シンポジウムで報告をされるという。書簡には、「メルッチさんの“思行”を、できる限り多くの心ある若いひとたちに、迷い悩みつつ“臨場・臨床の智”を生み出そうとしているひとたちに読んでもらえればと切に思います」とある。
 目次を詳しく書き起こした。

メルッチ『プレイング・セルフ 惑星社会における人間と意味』(ハーベスト社)


プレイング・セルフ―惑星社会における人間と意味

プレイング・セルフ―惑星社会における人間と意味

目次

アンナ夫人のはしがき――出会うべき言葉だけを持っている


イントロダクション


第1章 日常の挑戦
 時間のメタファー 測定することと知覚すること 体験のなかの時間、時間と空間を構築する 内なるリズム 社会のリズム 宇宙のリズム


第2章 いくつもの欲求、アイデンティティ、まともさ
 欲求する自己 アイデンティティ フィールドとプロセス アイデンティティの形態


第3章 多重/多層/多面の自己のメタモルフォーゼ
 現在に生きる遊牧民 選択のパラドクス 多重/多層/多面の自己と応答する力 メタモルフォーゼと個体化 持続と変化 現在の境界


第4章 内なる惑星
 微候のエコロジーの向こうに 征服の地 惑星人の新たな地図 心身/身心 探求することと守ること


第5章 境界としての身体、身体のメッセージ
 身体と身体 ちょっとした不具合 身体の沈黙 言葉のなかの身体 身体の出来事


第6章 ケアをすることについて
 日常を癒す いくつものケアの方法 別の見方 技術と運命 言葉と儀礼


第7章 差異の深層
 他者との出会い 若いということ、老いているということ 総合性、可能性、そして喪失 男性/女性 差異としての文化 差異と倫理


第8章 情愛の意味
 愛することと出産すること 生の選択 セクシャリティ、エロス、無償性


第9章 地球に住む
 答えなき問い 限界と可能性 生きること、ともに・生きること


第10章 驚嘆することへの讃辞
 微笑み、笑い、その他の楽しみ 私たちはどのように笑うのか 笑うことと泣くこと 道化師の遊び 創造性 旅の途上で・・・


エピローグ

エピローグなどをめくった程度であるが、議論の内容や、学問のスタイルについて、なるほどと思うことは多い。この本は、既存の分類で言えば、情報化社会論、社会運動、臨床社会学といったジャンルに分類される本であると思う。しかし、そういったジャンルの通常の書物とは明らかに異なることばがならんでいる。一種の詩学のようなものがここにあると、感じる人も多いだろう。見田宗介を読んだ世代の人なら、類似したものを感じるのかもしれない。しかし、見田ワールドがそうであるように、恐るべき知力によって精緻に組み立てられた、詩や論理が、さまざまな交響楽を奏でつつも、明晰さをもって美しい整合を提示し、ほれぼれするのであるが、なんか何者も寄せ付けないような閉じたカンジがするのとは、本書はちょっと異なるように思う。
 向かい合い、語り合い、・・・といった相互行為は、ゆらぎや、ジレンマを増幅しつつ、微細なあややニュアンスをないがしろにせず、身体からほとばしるものなどを、たとえそれがささいな、あるいはぶざまなものであったとしても、政治的なオルタナティブとして、描き出そうとしているように思われた。濱谷正晴さんの論考もそうなのだが、ある著作と対峙したときに、小器用に道具をつまみ出し、理論構成をするというような方向性がもつ、一種技術者の政治的な要素を丁寧に吟味し、しかし捨て去るのでもなく、考え抜くような智を探求されているのだろうなと、拝察した。
 こうした読みは間違っているかもしれないが、じっくりと勉強させていただきたいと思っている。くり返しお礼申し上げたい。