沢山美果子『江戸の捨て子たち その肖像』

 近畿大学の堀田泉先生が、私たちの本の書評を大学の紀要に書いて、送って下さった。非常に厳しいご批判をいただいたとも言えるが、得られたことも大きい。パワーエリート論の解釈や公衆論の位置づけについてのご批判は、洞察に富むものであり、非常に参考になった。再三味読して、いずれどこかの論考で修正点や新しい展開があったらそれを公表し、納得できない点が出てきたら反論を試みたいとは思う。
 まだ声がうまく出ない。土曜日だが、病院で診察を受け、薬を貰った。そのあと大学で堀田先生への手紙を書いた。そして、そのあと爆笑RCをみた。ブログを書いて、家に帰ったら、沢山美果子さんから、本が届いた。配達の佐川君がドアの前にいて、ジャスト受け取った。本には、25年間勤めた短期大学を辞したことが書いてあった。「女性史青山なを賞」を受賞された講演で、地方の短期大学での教育と研究の成果が結実した著作であることがさりげなく語られていたので、ご退職は意外な感じであったが、少子化の時代にあって、専任教員の仕事はますます激務になっていることは、いろいろなところで耳にしている。軟弱な私は、研究に専念するという力強いことばに少々たじろいだ。と同時に、語り合える研究仲間を身近にもち、研鑽を積み、成果を存分に公刊されている充実ぶりに、羨ましさを覚えた。
 最先端の研究を看護学などを学ぶ短大生にわかりやすく語りかけ、しかし学問的には一切の妥協もなく、ブロークンな放言などは慎み、かつコメントペーパーなどから学ばれてきた年月の積み重ねは、一方で重厚厳格な史料研究の方法論、他方でやわらかみのあるさくっとしたまなざしから人間をみつめるスタイルを結実し、多くの論考が描かれてきた。まだめくってみた程度だが、このことにかわりはないようだ。

江戸の捨て子たち―その肖像 (歴史文化ライブラリー)

江戸の捨て子たち―その肖像 (歴史文化ライブラリー)

裏表紙より

 江戸の“捨て子”は、どこに、どのように捨てられ、拾われたのか。ともに添えられたモノや手紙に託した親の思い、捨て子を貰う人々、江戸にもあった赤ちゃんポスト構想。そこから見えてくる捨て子たちの実像を描く。

目次

捨て子へのまなざし――プロローグ
なぜ捨て子か
 捨て子の具体像
 江戸の捨て子たち
親の手紙
 捨てる親たち
 命を託す
 拾われることへの願い
つけられた名前
 捨て子の名づけ
 二人の捨て子
捨てる女 捨てる男
 捨てるという選択
 処罰事例にみる女と男
 脆い家族
捨て子から棄児へ
 江戸の「赤ちゃんポスト
 近代国家と「棄児」
 東京の捨て子たち
『誰も知らない』によせて――エピローグ

捨てる側も貰う側も都市下層民である。その背景には、イエ存続、近代化といった社会の問題がある。沢山さんは、ひとりひとりの「固有名」にこだわり、史料から具体的な人間のありようを描き出してゆく。ある歴史的制約のなかにあるhuman natureのようなものが、史料をして語らしめられているように思った。捨てるという視点からなにがみえてくるのか、それは熟読してみなければわからない。これから読んでなにか出てきたら、ここに加筆したいと思う。