モチベーション

 いよいよ明日から授業である。この時期になると、大学で最初に聴いた授業を思い出す。今はない小平キャンパスの大教室で、わら半紙を持ち込んで教師のいうことをすべてメモして、それをノート整理する毎日だった。参考文献や事典の抜き書きをしたり、考えたことを文章にしたりして、各科目のノートをつくった。それは、親が教えてくれた勉強法だった。そこには学問に飢えていた下級警察官だった父親が、研修その他の機会に垣間見たアカデミズムというものへの凶暴なあこがれと、向学心が込められていた。
 私は親きょうだいで最初に大学に行った人間だったので、両親祖父母はノートをみせろと言い、それを一家で囲んで見るのを楽しみにしていた。食い入るようにノートを見ていた父親を見ると、法学部に行ってやればよかったかなぁと思わないではなかった。警察組織の学歴社会で辛酸をなめた小学校卒のたたき上げはおそらく、刑法論議などをすることを一つの夢にしていたはずだ。しかし、私にははっきり勉強したいこともあったし、目標もあった。高度成長のお零れで、子供を私立学校にやり、大学に進学させたといういささかみっともない浪花節を、吐き気がするくらいよく理解していたので、好きな進路を選ぶことに躊躇はなかった。それでいいはずだと思ったのである。
 それはともかく、講述内容をすべてノートしたことは、わかる人にはわかると思うが、あまり効果的な勉強法ではない。辞書をボロボロにするとか、あるいはギディンズのテキストを読みつぶすというような、精神的支柱のような意味しかない。実用的には、聞き取り調査のレッスンになったかもしれないとは思う。w
 実際、成績も悪かった。そして、馬鹿馬鹿しくなって授業に出なくなった。すべて自分でやるよりは、出席は交代で代返し、ノートは全部ノートしているようなのをコピーして、自分は出たときはじっくり話を聞き、バランスよい力の配分で、試験の前は勉強などせずに雀荘などで情報と資料の収集に努めたようなほうがずっと成績はいいのである。もっともさらに成績がいいのは、要領はいっしょで勉強している奴だろう。しかしである。いろいろ回り道はしたわけだが、はからずも失敗する権利を行使したことで、得たことも多かったと思う。それ以上に、数少ないごくわずかの成功は、専門的研究を動機づけた。
 もう一つは、高校の先生のことを思い出す。身近な大学卒と言えば、高校の先生だけだった。あまり好きではない学校だったが、大学に進学することになると先生たちは、勉強の仕方から、本の読み方、読むべき本などをいろいろ熱く語った。私はかなり素直な性格なので、薦められた本はすべて読んだ。なかには先生の見栄だけで薦めたとおぼしきほんっもあったけど、その見栄に込められた気持ちも糧にならないことはなかった。ぶざまなまでのありがたやありがたやで、恥ずかしいかぎりなんだが、あの凶暴などん欲さは、今とりもどせるものなら、生き肝でもなんでも喰うぜ、みたいなことになっているのは、いささか恥ずかしいものがある。
今年は社会学概論を担当する。二年以降の研究と卒論執筆に必要な知識の一覧表を提示し、その要諦を身につけさせるというのが、この科目の目標だと思う。誰がやってもそれはいっしょだろう。今までもそうやってきた。今年は、もう少し学生たちと個別に話をするなりして、ここの学生の学びのモチベーションを理解、発見して、明示するようなことを努力してみたいと思っている。学生たちの学びの枠組みたいなものも、もう少し知ってみたい気はする。なんとなく、至れり尽くせりキボンヌのクレクレ君してして君な、なんつうか、お犬様な椰子が多いというのが、現在の偽らざる私の偏見である。
 自身も著名なサッカー選手であり、ナショナルチームの代表選手を数多く育てたブラジルのサッカー指導者が、指導者の役割はモチベーションを与えることだと語っていたのを思い出す。四年前に概論を担当したときの四月末に、ある学生がやってきて「私は大澤真幸などの本を読み、それで社会学科を選んだんですが、先生のところに行けばそういう勉強ができますか?」というので、「オレじゃむずかしいなぁ。そういうのはねぇ・・・」とか言って、「また話そう」とは言ったのだが、何度か研究室に来られたのに間が悪く面談できず、連休明けには退学届けを出して驚いたことがある。退学という選択は、悪くないとは思うのだが、モチベーションを理解したかった気はしている。