三浦展『下流は太る:こんな暮らしがデブの素』

 電車のなかでボーッとしていたら、吊り広告に「下流は太る」という雑誌記事があり、デブがそのにおいも含めて「ピザ」と言われていることや、そーいや昔朝マックでソーセージエッグマフィン二つとポテトを喰い、甘いアイスコーシーのがるぷをガブついていたなぁなどと思い、インパクトのあるコピーだなぁと感心していた。今日大学に来てみたら、本が届いていて、封筒に扶桑社とあるから、なんかこええひとに「宿題を出す」とか、課題図書がきたんぢゃねぇかと、ビビリまくったんですが、三浦展氏の新著でした。「下流は太る」は新著の題名だったわけです。

下流は太る!こんな暮らしがデブの素

下流は太る!こんな暮らしがデブの素

内容

年収が低い人ほど太っている、太っているほど未婚で親元暮らし、無業者、失業者に肥満が多い…etc。体型格差社会の到来を示す。

目次

第1章 体型格差社会がやってくる!―太りゆく下流の現実とその格差 肥満大国アメリカの姿は、明日の日本の姿なのだろうか?(問題提起!アメリカ型ファスト風土下流社会が「体型格差社会」を生む!!;データで検証!下流ほど太る。まぎれもない体型格差社会の現実)
第2章 こんな暮らしがデブの素―専門家が下流生活を徹底チェック 下流が太る現実は当事者の生活を見れば明らかだ(ファスト風土系;都市型肥満系 ほか)
第3章 下流は食べる楽しさを知らない―飽食から崩食、そして呆食へ 若者のろくでもない食生活に“食育”の識者が警鐘を鳴らす
第4章 いつまでもデブではいけません―下流がダイエットに励むとき さらばデブ暮らし!下流の健康意欲はこうして生まれる!!

最近恒例のチェック

1) 年収(万円)が年齢の10倍未満だ
2) 面倒くさがり、出不精だ
3) 未婚だ
4) 食事はひとりでとることが多い
5) 自炊せず、外食が中心だ
6) 片手で食べられるものを好む
7) 食事の時間、回数が不規則だ
8) 生ものを食べていない
9) 移動は車やバイクが多い
10) セックスパートナーがいない

 『下流社会』を読んだときに、「下流はフジテレビを見る」というのをみて、昔三浦氏に「うちの実家はフジテレビばかりみていたから、ダイヤルの8のランプだけ消耗してつかなくなっちゃったんだ」みたいな話をしたことを思いだした。そして、下流はデブときたので、ワシをネタにしてないか?とも思ったのだが、まあこれは自意識過剰であろう。だいたいにおいて、三浦氏にしても西荻のカツ丼で有名な坂本屋で行列をつくっていたのを、私はバスのなかから目撃してしまったからね。w
 三浦氏とは、「窓をあけた笑ひ顔だ」という俳句でしばし盛り上がったりしたこともある。その他にも、自虐諧謔韜晦ネタで遊びまくり、今は清水建設にいるF氏らとトリビアリスト宣言をし、瑣末研究会なんてものをつくって、ウニウニしていた。だから、チェックというのも選別装置というようなものではなく、「誰がやってもあてはまる」(「下流チェック」についての三浦氏談)というものであり、消費の倫理学で若者たたきをしているというわけでもないということは、読者は理解する必要があると思われる。
 下流社会論という鉱脈をみつけた三浦氏は、キャッチコピーをひっさげて、消費の倫理から下流企業論まで、このコピーのキャパシティを証明してきた。私は、背景にある彼なりのきまじめな信念であるとか、マーケティングアナリストという仕事に責任を持つという篤実、そこに照らして必要十分な「たしからしさ」の保持、などについてくり返し述べてきた。今回はやや方向は違うが、出色のインパクトのある出版になったんではないかと思う。
 下流社会論は、瀟洒なアカデミックな表情を湛えてみせることも可能であるとともに、そうしたとりすました表情だけではなくガツンと一発かます面もあるんだという、逝き方は、ちっぽけなものに安住するロジックにはない味わい深い不安定を感じる。「下流はデブ」。ものすごい一発だよな。わけわかんないけど、ちょっとWii Fitを思いだした。
 傷つきやすく、すぐに凹み、泣き言をリバースしまくり、ベタに怒る世代は、このようなスタイルとロジックには違和感を感じるかもしれないと思ったりもした。マーケッティグアナリストとして、世代間マーケティングなどの問題をどう考えているか、その秘密、秘訣を読み解きたい、そして俗流若者論批判と照らし合わせたいと思ってきた。今回の著作は、身体論的にも最も泣きどころのデリケートな問題に斬り込むことで、一定の問題提起をしている点で興味深かった。デブとマザコンは絶対悪になっているからね。中年おやぢがそれをゲラゲラするというのは、実に玄妙であるとも言えるだろう。w