精読マクルーハン

 大学入学後の学生が目的を喪失するのが五月病、読めもしない本を買い込み、無理な履修計画を立てるのが四月病、そして教師が今年こそはと殊勝な覚悟で講義計画に興奮状況になるのも四月病と言っておりましたが、これはむしろ三月病なのかもしれませぬ。ただし、最近はシラバスというものがあり、だいたいの授業計画は秋頃までにたてて出さなければならないところも多いようですが。
 最近やたら精読という文言の入った文献がアンテナに引っかかるので、アマゾンで検索してみたところ、大多数が岩波の現代文庫でありました。宮沢賢治丸山真男などとともに、田中かつへこがスターリン言語学を精読し、今村仁司ベンヤミンの歴史哲学テーゼを、多木浩二ベンヤミンの複製芸術論をと、いろいろ出ています。ベンヤミンの2冊はテキストにしたいくらいなのですが、まあせいぜい複製芸術論までかなぁ、などと思います。『・・・を読む』というシリーズもあるわけですが、精読のほうは昔で言うところの「しゃぶるようにして読む」というやつであり、短い原文が示され、それを文字通り精読するものになっているのであります。
 現代文庫以外では、マクルーハンの「外心の呵責」を精読した上で、考え方を明晰に解説し、さらにその展開を考える本が注目され、これもテキスト候補に入れています。『メディアの法則』を踏まえた解説と整理であり、クリアな説明は学生たちにも伝わりやすいのではないかと思われるのです。著者は、『メディアの法則』の書評を『文学界』に書いた人であり、ここからネットをたぐってこの新著に出会ったというわけです。書評もそうですが、読み込んだ上でのクリアカットであり、実にコクがあり、読み応えがあるものです。
 グールド論で吉田秀和賞を受賞したということで、ケージ、シェーファーなどにも当然言及があり、岩波の社会学講座にある浜日出夫先生の「マクルーハンとグールド」論などと比較して読むのも面白いと思います。このへんの敷衍と展開をねらって、シェーファーマクルーハンを密かに読んできたひとりとしては、自分が考えてぐちゃぐちゃになっていたものが、クリアカットして提示されていたことで、ガーンという感じでしたが、まあ不勉強な私が背伸びしてこねくりまわすよりも手間が省けたとも言え、いよいよ「間」の社会学の展開に向かわなければと意欲を新たにしたところです。みすずのHPに詳しい目次がありました。

マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]

マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]

目次
テキスト――マクルーハン「外心の呵責」(宮沢淳一訳)
第1講 マクルーハン精読
テキストの読み解き方/テクノロジーと拡張/中枢神経系の拡張/題名の意味/ナルキッソスと麻痺/催眠術と歯科医療/同一化とバックミラー/電子テクノロジーの地球規模の拡張/感覚比率/ニュルンベルク裁判/印刷文化の思考様式/アルファベットと直線性/電子メディアと聴覚空間/再部族化と地球村/テレビは視覚ではなく――/錯綜するパラグラフ/再部族化と職業の終焉/情報化社会/判断保留と芸術家
第2講 メッセージとメディア
マクルーハンの半生/博士論文の位置/『機械の花嫁』(1951年)/花嫁はどこから来たのか/新聞・マラルメキュビスム/『探求』誌創刊(1953年)/『グーテンベルクの銀河系』(1962年)/『メディア論』(1964年)/ホットとクール/二分法の本質/「メディアはメッセージである」と訳してよいか/「〜は」ではなく「〜こそが」である/「メッセージ」と「内容」は違う/メッセージからマッサージヘ
第3講 ジョン・レノン地球村
「ベッド・イン」キャンペーン/ジョン・レノンマクルーハン地球村とは/本当に「理想郷」ではないのか/グレン・グールドの受けとめた「地球村」/マリー・シェーファーの「サウンドスケープ」/ジョン・ケージの傾倒/同時多発性とハプニング/地球村宇宙船地球号/一人歩きの本質/反環境としてのカナダ/環境が芸術になるとき/反環境を生み出す芸術家/フルクサスと日本の美術界/ナム・ジュン・パイク
読書案内
http://www.msz.co.jp/book/detail/08328.html

まあとりあえず、サブカルチャーなどを旗印にやってきた文化の社会学の研究と、地方都市を中心にやってきた青少年の文化の研究が、なんとか一つにまとまりそうな具合で、勝つそれは学生時代からやってきた社会思想史的な研究ともつながるもので、学生たちといっしょに考えていこうと思っています。鍵となる言葉は、今年の卒論から学んだことです。まだ書き付ける気はしないのですが、思いつきをいろいろ議論してみたいものです。