三浦展『日本溶解論――この国の若者たち』

 2月14日はバレンタインデー、そして3月14日はうちの学校の卒業式である。赴任後12年になるが、この日に雨が降ったことはない。ところが、今日は朝から雨がぱらついている。しかしである。卒業式が終わる頃には、晴れ間が出る勢いで、流石この日だと妙な感慨を覚えた。ただし、ゼミの写真と社会学科の写真は、もうすでに写真用の段が設営されているために、屋内での撮影となった。
 学科写真は、エグザイルが踊った旧体育館での撮影で、建物が取り壊される予定になっているので、よい記念になったと思う。中から見てみると、取り壊すのが惜しい気になった。募金でも集められれば、保全・維持できるのかもしれないが、無力さを感じた。大学時代の机を並べて勉強した後輩の自宅が、史跡に指定されるようなものだったのだが、個人では維持費用が払えず、やはり取り壊しされたことを思いだした。文化財Gメンといか、『ギャラリーフェイク』の知念さんみたいな人で情熱のある役人と、篤志家が存在しないかぎり、この時代では致し方ない部分もあるのかなぁと思わざるを得ない。
 式が終わって研究室に帰ったら、三浦展氏から新著が届いていた。ざっくりとコピーとを提示してみせるのは、三浦氏ならではの手業で、今回は「ジェネレーションZ」という切り口が示され、冒頭でZ度チェックをつけるというパターンで、『下流社会』論以来の様式を踏襲し、行く道を行っているのは、多くの批判と同時に、多くの読者を集めている所以であろう。質問し調査や聞き取り調査については、専門家からすればいろいろと意見はあるだろうとは思うが、世代間マーケティングの実務家などからすれば、十分役にたつ切り口を示していると言えるのかもしれないと思う。「よき消費」の倫理学という基調があることは、単なるセールスマンシップとは異なるわけで、下流企業を批判し、企業の品格を問題にする著作が、プレジデント社から出ることには意味があると思う。

日本溶解論―この国の若者たち

日本溶解論―この国の若者たち

内容

キャバクラ嬢になりたい。
浴衣と日本が好きで、前世を信じる。
トヨタとイオンとマクドナルドが好き―。
誰も知らない「平成ジャパニーズ」のリアルな価値観。

目次

第1章 がさつな女―女らしさの崩壊と逆転する男女意識(女子の方が「気が強い」「がさつ」「だらしない」;女子が男子化、あるいは男子を超える時代)
第2章 キャバクラ嬢になりたい女子―性意識の解放と変質する職業意識(高校生の二〇%、大学生の二一%、正社員の三三%がキャバクラ嬢になりたい;東大医学部キャバ嬢もいる時代 ほか)
第3章 スピリチュアルにはまる若者―近代の解凍と再魔術化される意識(人間は死んでもまた生き返ると信じる者が半数近い;細木、美輪、江原の人気は、自分が何をすればいいか教えてくれるから ほか)
第4章 よさこいを踊る若者―地域社会の解体と拡大する格差意識(よさこいを踊ったことがある女子高生が五三%;和風志向はなぜ起こるのか? ほか)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4833418665.html

 本の帯には、次のようなあとがきの文言が引用されている。「もしかすると私にとってこのジェネレーションZ論が、若者論としては最後の世代論になるのではないかという予感が少しするのだ。おそらく、若い世代がこれ以上不可解になることに対して、あるいは、これからもっと不可解な若者を生み出しつづけるであろう社会の溶解、液状化に対して、私には抵抗があるのだと思う」。
 著作の性格も、目的も随分と異なるものであるし、ことばの類似を安易に関連づけることはやめるべきだとは思うのだが、私はこれを読んで、一つにバウマンの液状化論、リキッドモダニティ論を想起した。もう一つ、2000年に出た山田真茂留先生の若者文化融解説(講座社会学7『文化』東京大学出版会)も思いだした。現代における規範や倫理という問題について、三浦氏の洞察がどのような理論的な意味合いをもって解釈できるのか、じっくり勉強させてもらおうと思う。この問題に関して、私には一つの宿題がある。それを考える触媒としては、恰好の書物だと思われる。

リキッド・モダニティ―液状化する社会

リキッド・モダニティ―液状化する社会

講座社会学〈7〉文化

講座社会学〈7〉文化

 俗流若者論批判ヲチャーとしては、垂涎の一冊なので、本当にありがたいものがあった。お礼申し上げます。いつも本当にすみませんです。個人的には、よさこいの章が面白かったです。地方都市の文化のフィールドワークということもありますが、それ以上に和風好みについて語られていることは、サブカル論的にも興味深いですから。