矢澤修次郎・伊藤毅編著『アメリカの研究大学・大学院』

 KOKIAの10周年ライブの申し込みをした。抽選なのであたるかどうかわからない。むかしは電話が面倒だったことを思えば、パソコンはありがたい。6000円以上する外タレなみとも言えるが、地方や東京の小ホールなどでも地道にやっている人だから、それなりの考えがあるのだろうと思ったら、東京国際フォーラムなんだね。ホールの性格もさることながら、地方から来る人も便利でよいなぁと思った。
 それはともかく、矢澤修次郎先生から本をいただいた。先日献本したのでいただけたのだと思う。ありがとうございました。アメリカの大学と社会について、大学院のゼミで行った調査プロジェクトをもとにした研究の著作化で、調査メンバーのなかには献本したミルズ本の共著者の名前も見える。2/15発売になっているのだが、ネットで引っかからない。というか、東信堂のHPにものっていない。少部数発行なら、ぼったくり価格になっているはずだが、本書は2500円のハードカバーというお手頃価格である。ナゾである。と思ったら、楽天には出ていました。

矢澤修次郎・伊藤毅編著『アメリカの研究大学・大学院――大学と社会の社会学的研究』(東信堂

序 章 問題の構造と文脈
第1章 研究対象の決定とアメリカ高等教育機関のランキング
第2章 調査結果の概要
第3章 アメリカの研究大学・大学院の全体的傾向と特徴
第4章 アメリ研究大学・大学院の歴史的形成
第5章 古典社会学アメリ社会学
第6章 社会と社会学
第7章 アメリカにおける「社会学の制度化」とその日本に対するインプリケーション

 矢澤先生といえば、「社会学社会学」で知られるグールドナーの大学で研究されたことで知られる。この作品もそうした流れの中に位置づけられるだろう。グールドナーの諸著作のほかにも、ミルズの『社会学的想像力』、ヴェブレンの『アメリカの高等学術』、リンドの『何のための知識か』といった作品などが思い浮かぶ。矢澤先生の社会学史の基本視点が、「社会学と哲学」「社会学プラグマティズム」であることは、授業でもよく強調されていたし、先生の作品群のなかでも顕著な視点として確認することができる。
 しかし、他方で、グールドナーらの社会学的知見を評価しつつも、知識社会学における調査研究が絶対的不足しており、印象批評や思弁的文明論にとどまっていると、先生がよく批判されていたことを思い出す。「社会と社会学」という視点は、これに対処するための視点となっている。
 基本概念として、オバーシャルの「社会学の制度化」が用いられ、歴史的形成と現状についての実証研究が展開されている。オバーシャルも懐かしい名前で、大学院生のとき矢澤先生の自主ゼミ*1この概念を知り、質問に行ったのが、お話をした最初のきっかけである。
 個人的な思い出はともかくとして、「大きな変動のただ中にある日本の大学と大学院、およびその教育、先行するアメリカの大学院の現状と歴史を分析することにより、日本の大学院が直面している問題解決に一つの方向」を与えようとする本書は、社会学書としてのみならず、大学行政に携わる人間にとり有益な本であると思う。また、大学で学ぶもの、学ぼうとしているものにも示唆があるように思う。
 竹内洋教養主義の没落』(中公新書)を読み、企業のインターンや就職活動セミナー、入社前研修の課題に夢中になっている学生たちを見て絶望的な気分になり、学ぶ欲望をもつことは「まなざしの地獄」のNN的向学心に成ってしまっているのだろうか、などと思っていた今日この頃、本書の「大学・大学院の質こそが来たるべき社会の質を決定する」という帯の文言は、叱咤激励な喝となって耳に残響する。
 水曜日昼休みに確定申告をしにいった。年々電子申請など便利になっている。今年はだいぶまた入力などが改善された。若干だがインセンティブもできたし。しかし、結局面倒になって電子画面は検算に用いただけだ。しかし、これもむかしは一つ一つ計算し、税務署で職員の方たちに点検していただいたころを思えば、入力していけば自動的に作成できるので便利である。そのあとは三鷹駅まで歩き、ゆうちょ銀行で差額を納税し、五日市街道経由でかえった。これが5.7キロ。
 夕方はまた小平の藤の木。寒いのに薄着でいって、さすがに歩くのをやめようかと思ったが、気合いで歩いていたら、汗びっしょりになった。約1時間半で関前に着き、そこからはタクって、ジムへ行き3500メートル/1時間ちょっとで泳ぐ。たぶん7キロちょっとは歩いたはずだ。歩行速度は軽装備で、両手がフリーなら時速5キロくらいになってきている。マラソンで上半身で走るという意味がよくわかる。

*1:大学院生が自主企画する――しかし大学の正式単位となる――ゼミで私はこの半期のゼミだけが正式受講した先生のゼミで、他はニセ学生などとして社会学史の授業を受講したり、個別指導していただいたりした。にもかかわらず著書出版、学位取得、さらには就職などの相談にものっていただいた。