出し忘れた推薦図書

 今日は研究室の大掃除でした。例年と同じく卒論の面接の前にやっておかないと、ゴミやノートや本たちが阿鼻叫喚と言っていいくらいの惨状になっておるわけです。ただ、最近ちょっとは気をつけているので、例年に比べれば、ちょちょいちょいと、片付けて、掃除機をかけるくらいですみました。ゴミも二袋程度で、昨年のようにペットボトルの袋が廊下に積み上げられ・・・ということもなかったし、床に落ちていた小銭の額が半端じゃなかったということもありませんでした。終わってしばし歓談していたら、久々に話し込んでしまい、ぎゃははははとやってたら、怒られてしまいますた。これも久しぶりなこと。そして、ゼミにぎゃはははは馬鹿笑いするやつが存在するのも久しぶりのことです。前は、冬になると外の喫煙所が寒くなるので、非喫煙者の私のところにたばこをすいにくる不心得者もおりましたが、最近は喫煙者自体がほとんどいなくなりました。
 で、部屋もきれいになったし、特別入試で合格した人たちのための推薦図書のようなものを出すのを忘れていたので、出そうと思ったら、もう〆切りでした。で、ラーメンを中野の喜神まで食べに行き、帰りは歩くことに。いつも早稲田通りはショーもないので、中野通りを南下して、大久保通りから、環七付近から青梅街道へ。高円寺南で五日市街道に入って、あとは環八こえて一直線にかえるつもりが久我山過ぎたあたりで方針変更で、西荻駅方面に向かい、ユトリウムで一風呂浴びて、マッサージを受けて、帰ってきました。ラーメン屋への往復を入れると、約10キロです(最近お気に入りのALPSLABで実測する。これは、経路の距離と、アップダウンが表示できるなど便利な地図ツールです)。道すがら、推薦図書ってなにを出すべきだったか考えていました。
 最近は事前指導を希望される高校の先生方もいらっしゃるようですが、希望されない学校もあるようで、むずかしいところです。もちろんうちの先生たちは、個別に質問が来たら、きっと対応されると思います。私も受験番号など書いて、メイルをいただければ、いくらでも相談にのっています。実際、HPの講義プリントに質問をいただいたこともありますし、また、大学院進学希望の人とSNSで知り合って、しかるべき相談をメイルでして、しかるべきところに仲介したこともあります。
 むしろ私たちは遠慮しているところもあるわけです。高校というのは、決められた教育内容をレッスンするだけではなく、進学する人には一歩先へ進むために橋渡しする教育をしていると、友人から聞きました。予備校に勤める友人は、駿台予備校に影響されたこともあるのでしょうが、予備校というのは単なる受験教育じゃなくて、橋渡しの面も大きいと言っていました。それについて、なんの意見交換も、なんのノウハウの積み重ねもないところで、なんとなく、っぽいことをするだけでは、やる気を削ぐだろうなぁと思わないことはありません。まあ、相互乗り入れまで視野に入れて、どこかで短期公開講座っぽくするとかしてモデルケース的なことをし始めれば、ちょっとしたGPっぽくはなるでしょうが、何でもかんでも標準化するのは、個人的にはぞっとしません。
 河合塾とか、朝日新聞社が、似たような試みを積み重ねてきてはいるわけですし、最近は社会学の入門以前だとか、高校生のためのとか、教養としてのとか、いろいろあることはもちろん知っています。しかし、高校の先生方のご指導に勝るものはないのではないかと思うのですね。私たちは。
 自分の高校時代を思い出しても、秋くらいから先生たちが異口同音に、大学時代の話や、読んだ本、読んでおくべき本のことなどを話されていました。『現代数学の小径』、ロゲルギストの『物理の散歩道』シリーズなどは、数学や物理の先生に勧められて読みました。生物は得意科目だったのですが、特に遺伝学に関心があったので、伝記みたいなのを推薦してもらって読みました。国語の先生は『日本の近代小説』という新書本を薦め、丁寧な語り口の辛辣というのをくりかえし話してくれました。また、各種文章読本について話し、三島由紀夫のは問題あるが、あいつは文章上手いとか言っていた先生のすがたも目に焼き付いています。遠藤周作のぐうたらシリーズばかり読んでいた私にはちょっと難しいものがありましたが。社会の先生は、受験用もかねて『昭和史』『日本の歴史』『スパルタとアテネ』などをすすめ、受験で地理と政治経済選択だった私も買って読んだ覚えがあります。その他には、『知的生産の技術』をすすめる先生が多かったです。
 私はお世辞にも受験勉強のできる人間ではなかったし、読書も受験参考書くらいしか読まないような人間だったけど、浪人覚悟で志望校ランクを引き上げたころから、バカ正直にずいぶん薦められた本を読み始めたし、春休みくらいからはもうどうにも止まらなくなっていたように思います。そういう知識欲みたいなものは、けっこうイケてたのかもしれないなぁと思います。少なくとも自分のゼミの学生の平均的なレベルの人よりは、本を読んでいたと思います。
 しかし、大学に入ってみると、田崎英明氏のように中学の時からルフェーブルとか、アルチュセールみたいなのを読んでいたというのとか、『クルドの肖像』の著者の一人のように高校時代から『ドイツイデオロギー』を読んで歴史学を志していたというのとか、某県で高校教師をやっているやつのように受験英語などは勉強せずラダーからはじまってペンギン、ペリカンを読んだだけで、特に準備もしなかったとか、とんでもない椰子らをみて、自分のお粗末さに爆(´・ω・`)ショボーンだったんですけどね。
 で、高校生になにをすすめるか?ということなんですが、最近出した自著を読んで質問いただいたら、猛烈に親切にめいる書きまっせ、というのは、まあ当然にしても・・・なわけねぇか、w、それはともかくなにを薦めるのかなぁ。高坂正堯『世界史の中から考える』(新潮社)と村上泰亮『産業社会の病理』(中央公論社)と見田宗介現代社会の理論』(岩波新書)と上原専ろく『歴史的省察の新対象』を比較して読む、というのは、まあよほど努力しないと無理だろうから、高坂と見田だけ、というのもわけわかめだろうし、だいたいにおいてこういう本は卒論を書く前に正月かなんかに白装束で読んでおくべき本だと言いたいくらいのところがあるんだが、まあともかく高校生の場合なら、そんなことなら、世界史と日本史の教科書を読み直すのが一番じゃないのか?? といっても、邪魔くさい太字とかあるし、アンダーラインとか、マーカーとか、ひきまくりでショーもないだろうし、橋渡しの本って何なんだろう。
 まあしかしこれも、自分の場合、学びの骨格は歴史学の授業でつくった(というより大学でちゃんと聴いた講義でよいものが圧倒的に歴史学系のものだった)ということだけかもしれないんだなぁ。ルポルタージュやモノグラフがいい人もいるだろうし、テキストっぽい本がバイブルという人もいるだろうし、ちくま新書の「高校生のための」を全部読む人もいるだろうし。
 面接などを通して最近の高校生たちと接してみて強く感じたのは、総合教育の成果が如実にみてとれたということです。昔は入試パンフレットに書いてあるようなことを必死で台本読みするような人が多かったように思いますが、最近は主題を調べ混み、経済、国際関係、社会等の主題を調べ込んだ成果を的確に答えるので、ビックリすることも一度ならずなわけで、その場で推薦図書を言いたくなるようなことも一度ならずでしたが、さすがにそれは自粛し、「高校の先生たちとよく相談して」みたいな言い方で一言添える程度になるわけです。