『社会学のアリーナへ』

 大学に来たら、Ube_froの花野裕康さんから本が届いていた。東信堂の「社会学のアクチュアリティ」というシリーズの一巻で、目次をみたら、すごい執筆陣だ。梶田先生の論考は、絶筆ではないのだろうが、生前の貴重な論考であると思う。
 最新の理論を使っていて、かつ資本主義とグローバル化という動きに対して緑本社会学を勉強した世代にもなじみがあるようにというか、あるいは逆に緑本が提示したオーソドキシーのようなものを最新の理論を勉強する人にもなじみ深く提示したというか、面白い本である。私は言うまでもなく緑本世代なわけであるが、ぺらぺらとめくったくらいのことしかまだできていないものの、尻込みしていたいろいろな動向について勉強する手がかりをいくつか発見することができたように思った。ありがとうございました。勉強させていただきます。

内容

世紀の幕開け、変貌し続ける世界にあって社会科学が学として立つべき場所(=アリーナ)はどこか?ポストモダン論、グローバリゼーション論等、近代知の没落を告げる言説が交錯する中、社会学の固有性と今日における存在理由を追求する。

目次

序章 モダニティの社会学理論―ギデンズを中心にして 友枝敏雄
第1章 社会学と社会システム論―システムとその「外」 BB
第2章 社会学理論と社会病理―観察のモダンとポストモダン 花野裕康
第3章 近代社会学の成立―一九世紀フランス社会学の事例から 竹沢尚一郎
第4章 フィールドワークから社会学理論の形成へ―社会学の伝統再考 飯島秀治
第5章 生活政治の社会学―支援社会を求めて 今田高俊
第6章 社会学と資本主義―生活構造論の革新 室井研二
第7章 社会学から見たグローバル化地域統合・国家―現代フランスの変貌を事例として 梶田孝道
第8章 グローバリゼーションと人間の安全保障の興隆 内海博文
終章 グローバリゼーションと社会学の未来 厚東洋輔

 木曜日非常勤先のセントポール大学で、土井隆義『個性を煽られる若者たち』の話をして、「世界で一つダケノハナ」という文字が脳裏をかすめ、スガシカオ村上春樹、そしてスマップと、歌舞伎まくって講義をしたら、授業のあと文句をイイに来られた人がいて、「世界で一つだけ・・・はマッキーです」と言われ、「そうかい、それは局アナのマッキーのほうかい?」であるとか、「下手こいた・・・」とかいった返しはできず爆しょぼんだった。成城大学では、公共広告機構の「黒い絵」の録画をみせたら、これはかなり多くの人に伝わった。外国の留学生にも伝わった感じで、これは実にすばらしいものがあるんじゃないかとあらためて思った。そこに「想像力」という文言が入っているのに気づき、やはり理解社会学は大事だとか、思っちゃったりした。
 成城の帰りは界隈でラーメンを食って、散歩をして帰るのが日課になっている。で、浜田山で食べた。そこから散歩となると、阿佐ヶ谷から荻窪方面の善福寺川越えというのが、通常で、すぎ丸クンのコースで杉並税務署、南阿佐ヶ谷から、阿佐ヶ谷へと出たら、さほど時間がたっていない。このまま荻窪から大学へ帰ろうかと思ったが、迂回して中杉通りから、早稲田通りへ出て、善福寺公園経由というルートが思い浮かんだ。阿佐ヶ谷北の裏通りは、なつかしいものがあるし、荻窪駅から北西に北上するのも、一気に北上するのもたいして変わらないと思ったのだ。早稲田通りに入るとじきに本天沼という地名になりちょろいもんだ、時期に桃井だろと思ったら、清水とか、聞いたこともない地名が出てくる。しかも井草とか、不吉な看板が目立ち???と不安になった。歩いても歩いても桃井にならない。今川という地名が果てしなく続く。そして、ようやく井草八幡についた。へろへろになって、大学に着くと二時間以上たっていた。悔しいので、さらに泳ぎに行って3000メートル泳いだら、プールから上がるときこけて多くの人に迷惑をかけた。家に帰ってALPSLABで調べたら、早稲田通りは北を迂回するかたちになっていて、距離は10キロほどだった。それだったら、成城学園から自宅まで歩くほうが近いのだった。もちろん今度はそれを歩く。というか、一度増やしたら、絶対に減らさないのが私の習性で、泳ぐだけだと今は5000メートル二時間にしているわけだが、散歩の時は10キロ+3000メートルをノルマにしようかと思いはじめている。効果は絶大で、体重が1キロ減っていた。