東谷護『大学での学び方』

 成城大学に非常勤でうかがった時に共通教育研究センターのスタッフとお会いし、スタッフの一人東谷護さんが成城版「知の技法」を出したのを知った。その後送ってくださった。1年ゼミを担当しているので、非常にありがたかった。本書の特徴は一つに「お勉強」からの脱却をめざしていることである。学ぶ気のない連中にもまして、「お勉強」好きな連中には、一度焼きを入れなくちゃと思いつつ、そのまじめさに逡巡してしまったりもする。最初にそれをガツンと教えれば、その後の学びに役に立つだろう。

大学での学び方―「思考」のレッスン

大学での学び方―「思考」のレッスン

内容

高校までの「お勉強」と大学での「学び」はどう違うのか。受身型勉強から自ら考え、表現する学問的姿勢への架け橋として、「考える」方法を具体的に解説する。「論文ってどう書けばいいの?」というあなたへ贈る一冊。

目次

目次:
序 思考への誘い
第1章 思考の準備
第2章 「読む」ことから問う
第3章 「問う」ための工夫
第4章 「練習する」ことの大切さ
第5章 「調べる」ことの二重性
第6章 「書く」ことは思考の具体化
おわりに 学びをどのようにいかすか

 人のことは言えない。私も相当の「お勉強」マニアで、その「お子様ランチ」ぶりは、冗談としか言えないものがあった。たとえばノート整理である。教師の言うことをすべてノートしてきて、それをきれいに清書した。所々に参考書を調べてきれいに写した。先生は、「ギャグまでノートするバカがいる」と注意してくださっているのだが、それまでノートして、アンダーラインを引いて「重要」などと書いてあるのが、今も保存してある。教師の言いたいことを理解し、それを踏まえて自分の意見をまとめてゆく、さらには自分の学問形成の一つの情報収集として講義から情報を得るといったことであるべき「授業を聴く」という作業が、きれいなノートづくりのゲームへと矮小化されてしまっていた。語学もそうだ。活用表などを京大式カードに筆写し、重要なところは赤インクで塗り絵にした。そんなカード作りのゲームで成果があがるはずもない。成績はさんざんだった。
 私の場合幸いだったのは、高校の先生が「毎年卒論を一つ書け」と言ってくれたことである。私はけっこう素直な性格なので、それをバカ正直に実践した。一年目は市民社会論、二年目は市民的世界像の生成・・・と50枚から100枚くらいの論文にまとめた。主題を得たのは講義をきき、ゼミやサークルで禿げしく議論をし、論破されてさらに調べ、考え、草稿ノートのようなものを書いていったことを通じてである。おぼろげに本格的な受講の勘所を踏まえていたことになるわけだが、おぼろげなものの最も重要な部分を増幅してゆくような学びを凶暴に展開することは私にはできなかった。修論を書き上げて、学部の授業を関心に任せて聴講するようになって、はじめて「お勉強」から脱却できた。あまりに迂遠な道のりだったと思う。
 本書を読めば、そういった無駄は省けるはずである。単なるスタディスキルをレッスンするというのではなく、本格的な「学び」に学生を導くようさまざまな工夫が施されている。東谷さんがブイブイいわしているポピュラー音楽学会というのは、例会で修論だけではなく、卒論に向けての報告が行われ、若手を中心とした研究者がそれをケロケロに指導している。メンバーはハイブリッドな経歴の人が多く、さまざまな学派、学風のノウハウが教え込まれている。そうした積み重ねが結実している本書は、ほんとうに貴重な成果だと思う。