森村敏己編『視覚表象と集合的記憶:歴史・現在・戦争』

 家に帰ったら「一橋大学大学院社会学研究科先端課題研究叢書2」というのが届いていた。母校でもいろいろな学際研究プロジェクトが立ち上がり、研究交流が行われていることがわかる。この研究は、戦争、ジェノサイト、民族、人種、開発などに関する集合記憶(記憶と忘却)・文化表象などに関わる共同研究で、思想史、心理学、歴史学などの研究者が参加して、刺激的な議論を展開している。目次を書き出しておく。

第Ⅰ部 記憶
 第1章 歴史研究における視覚表象と集合的記憶 
 第2章 過去に眼差す――その社会学的考察のために 
第Ⅱ部 文化
 第3章 街区に本来の姿を取り戻す――パリ・マレ地区における記憶の収集と排除
 第4章 キュリオシティの展示と自己の構築――P・T・バーナムの自伝と博物館
 第5章 フランスにおける「日本文化」の受容と生成――1987年パリ万国博覧会
ジャポニズム
第Ⅲ部 ネイション
 第6章 ホワイトネス研究の方法と国民国家論――ネイションの記憶・人種の表象
 第7章 外国人イメージの構造――調査データに基づく考察
第Ⅳ部 戦争
 第8章 加害の「忘却」と日本政府
 第9章 朝鮮人特攻隊員に関する一考察
 第10章 日本・フィリピン戦没者追悼問題の過去と現在
   ――「慰霊の平和」とアムネシア
 第11章 トロント大学ソールジャーズ・タワーのイメージの変遷

 森村敏己、安川一、貴堂嘉之、村田光二、吉田裕、中野聡という専任スタッフに、若手の研究者がくわわって本は編纂されている。社会心理学歴史学の共同というのが基本ラインだろう。片桐雅隆さんの記憶論の合評会に、早稲田大学から歴史学者が参加して熱心に質問していたのを思い出す。そのとき感じた知的刺激をさらに増幅させてくれるような読後感を得ることが出来たのは、歴史学者が多く参加しているからだと思う。学生時代は「あたりまえ」だった母校の学問が、非常に新鮮に感じられたのは、時の流れというものだろうか。
 安川一の論考は、記憶論の社会学社会心理学を手際よくレビューし、ミードの時間論の最新研究を踏まえた学説解釈を対置している。ミード研究に一石を投じた論者が、モスコヴィッシ、アルプヴァックスなどに関する論究を行っているのは、同業者には要チェックだろうし、逢着した着想としての「過去/想起をめぐる、『多相症』的複数性の現れと、非一致・非収斂的営みのなかでの現実構成」というのも刺激的だろう。著者が修士課程のころより温め続けているパースペクティブ論、「知覚論的転換」の一里塚のとして興味深かった。このあたりで歴史研究などに手を染め、迂回してみるのも一興かなとも思ったし、今回のプロジェクトは生産的に機能するのではないかと思った。
 11章を書いているKさんは、私が女子大で最初に話した学生である。研究室で引っ越しの荷物をほどいていたら、二年ゼミのくじを引きなおさせてもらえないかというふうに言ってきた。最初の頃はくじをひくような状況であったのは、隔世の感があるけど、当時はそんな感じだったのだ。赴任当初で面倒は避けたいということで、ダメと言ったが、あとで語学がすごくできる学生であることを知り、シモタと思ったが、三年ゼミでも別のゼミに行き、入院して今日に至っている。遊び感覚のうちのゼミに来ていたら、今日の姿はなかったかなぁなどと感慨深いものがある。