三浦展『難民世代―団塊ジュニア下流化白書』

 べら祭だったので、社研の郵便の棚を見なかったのだが、気がついたら、三浦展氏から本が送られてきていた。さっそく一読。
 三浦氏は、雑誌『アクロス』を中心に活動し、一つの消費スタイル、ライフスタイルのあり方を提示し、そのことによって一つの地平を開示した。それをWASP、郊外化という言葉で括ってみせたことは言うまでもないだろう。その言説は、池袋や渋谷や新宿などの街のありかたとして具現化された。「パルコ的なもの」は、知的なアウラを放ち、若者は虜になった。
 そんなあとで、バブルははじけ飛び、いろんなことがあり、SEIBUも「別にもともと下駄履きデパートとかゆわれていたんだし、いーんじゃないの」みたいなことになって、若者は牛丼にドレッシングやマヨネーズをぶっかけて混ぜ混ぜして喰ったり、マックでバーガー喰ったりするようになり、知的もへったくれもねぇよみたいな風潮のなか、IWGPのメトロポリタンなスペースもなんかバブルの残骸ちっくに吹きさらしの廃墟みたいになっているようにもみえてこないとは言いきれない時代になってきている。
 この時代に、社会のありよう、国のありように対し、なにかを言わなければならないというきまじめな動機づけを基本にし、かつそれを、政治権力、行政権力、教育、社会運動とかゆうんじゃなくて、「楽しく消費しようぜ」みたいな倫理、美学として説いているものとして、私は三浦氏の本を読み続けてきた。今回は、「難民」というコピーを提出し、それで「すまい」「まなび」「しごと」「ケコーン」というこれまで論じてきた各論的な領域を概括している。鍵語が目次を貫き、格好良く串刺しになっている。卒論を書いている人は、この構成力=目次の作り方を充分に味わって、手本として欲しいものだ。w

BOOKデータベースより
人口の多さゆえに、受験、就職、結婚と人生の節目のたびに「難民」を生んできた団塊ジュニア世代。今後ますます、上流と下流の格差は開いていくのだろうか…。そんな彼らの不安を取り除かなければ、日本に未来はない!誕生から現在までの彼らの「現実」を、改めてデータから解析する。


目次:
序 「難民」の誕生(故郷喪失の世代
受験戦争の世代 ほか)
第1章 郊外難民―故郷喪失と新しいナショナリズム三大都市圏で49%が生まれた団塊ジュニア
田舎に行くほど第二次ベビーブームはない ほか)
第2章 受験難民―消費社会と均質化(「ふつう」より少し上を目指す同質化競争
塾通い―勉強ができると幸せになれる ほか)
第3章 就職難民―非正規雇用と階層化(正社員になれなかった
正社員と派遣の希望格差 ほか)
第4章 結婚難民―個人主義と晩婚化(結婚したいという意欲の低下?
できちゃった婚じゃないと結婚できない ほか)


MARCデータベースより
人口の多さゆえに、受験、就職、結婚と人生の節目のたびに「難民」を生んできた団塊ジュニア世代。そんな彼らの不安を取り除かなければ、日本に未来はない! 誕生から現在までの彼らの「現実」を、改めてデータから解析する。
http://books.livedoor.com/item4140881976.html

 さすがに「難民」というコピーはきゃっちぃで、マーケティングとかに携わっている人がそこそこつかえられるようなデーターが多数ならんでいる。ぼくらなんかが本を出すときは、図表は削ってくれと言われるような仕事ばかりなので、ちょーうらやましい。「やっちゃう?」「やっちゃう?」「いいよいいよ松本伊代」というふうにちょけてみたいわというくらい、「本を出すツボ」がシュタッとおさえられている。これで○万部!みたいな・・・・。
 でも、論じられている内容は、着々と自分の仕事を分節し、展開しているカンジで、すごいモンだなぁと思う。「下流化」というネガも「ロハス」というポジも、「仕事をしないと自分はみつからない」ということが基本になっている。そこをどうにかしなくっちゃという問題意識がつよく感じられる。おそらくは、ちょっと筆先をかえれば、「ニートとワーカーホリックは裏表」というような議論もサクサク書けたはずだと思うのは、ボクがバイク便の本をちゃんとよめてないのかもしれないけど、旧知のひいき目でそう思う。おそらく、それはしなかっただけのことだろうし、したくもないだろう。
 そういう方向じゃなく、「1000万人団塊ジュニア世代」=潜在的巨大市場、でもでも未婚四割弱、非正規雇用二割弱、どうにかしようぜみたいな。このメッセージは、難民を出している方にも呼びかけられている。そのほうが会社の業績あがるよということになれば、事態はかわるかもという路線は、すげぇ言い方をすれば、見田宗介の『現代社会の理論』をピカレスクロマンにしたようなフェロモン出しまくりだというのが、とりあえずの絶賛の方向だろう。w 問題は、別に「消費の即戦力」にならないものよりは、そっこー売れるところに売りまくって短期的な帳簿がカッきーんなら、ボク重役になれるしみたいな人がいたら、なんともにんともで、次なる問題はグローバリゼーションかなぁと思ってみたりもする。とことんきまじめな人だし、環境問題もなにもかにも全部まとめて・・・みたいな路線を卓抜なコピーで表現する日がくるかもしれないよね。
 批判的な人たちが、どんな文句をつけるかは想像がつくし、わざわざ私が言うまでもないだろう。それは身びいきなのだろうか。うちのバカ親ぢは、80歳過ぎて、天候体調にかかわらず、小学校の警備のボランティアをしている。三浦氏のお父さんは、教員生活を終えたあと、私財を投じて、不登校などの児童のための学校をつくったりした人だ。そんな人たちが、ポップな消費社会を創りだした。その背中を見て育ったということが、共感の底にはあるんだろうな。実生活でも、学説的にも、私は怠け者にとことん甘い人間だけれども、なんかくすぶっているものがある。三浦氏の本は、偽善なく、そのあたりを直言しているから、腑に落ちるのかもしれない。