GPウィーク/仲川秀樹『もう一つの地域社会論』

 今週から来週にかけては女子大のGPウィークで、特色ある教育プログラムの成果報告がいろいろとおこなわれております。社会学科は、OGの聞き取り調査を行ってまいりましたが、その成果は来週報告されます。別冊付きの報告書が出ております。主なプログラムは下の通りですが、前半はすでに終了です。詳細はリンク先をご覧下さい。この他にも、ポスターセッションなどもあります。そしてその後は、学会ウィークで、部会はもちろんのこと、各種研究会企画盛りだくさんで、どれに出ていいか迷ってしまいます。

●成果発表1 東京女子大学 (教室未定)

13:45〜14:45  女性学・ジェンダー副専攻学生による発表
ジェンダー統計を解読する」
13:45〜14:45 英米文学科学生による発表
「Women and Writing:英語による創作」
15:15〜16:15 史学科公開授業
「ローマ史の中のジェンダー樋脇博敏助教

2006年10月24日(火)

●成果発表2 東京女子大学 (教室未定)

10:55〜12:25  旅人われら卒業生公開インタビュー
竹下景子さん(1977年社会学科卒)に聞く」
13:15〜14:55  日本文学科学生による発表
「日本文学のセクシュアリティを問い直す」
16:30〜18:00  社会学科学生による聞き取り公開セミナー
「先輩のライフコースから学ぶ」
http://office.twcu.ac.jp/support/koza/toku-gp-week.html#1024

 そんなこんなではありますが、まだ親が入院中でへとへとになっています。しかし、今日は成蹊大が体育祭みたいなのがあり、休講で若干助かりました。でも他の仕事があるので萎え萎えです。昨日家に帰ったら、仲川秀樹氏より本が届いていました。『もう一つの地域社会論――酒田大火30年、「メディア文化の街」ふたたび』(学文社)。考えてみると最近は年一冊のペースになっていることがわかり、すごいもんだと感心いたしました。著作は、地域アイドルを中心とした地域活性化について詳細に調査を行った前著を継承する主題ですが、今回は一方で伝統文化にも配意し、他方では一時期地方都市にあって特色ある場として知る人ぞ知る存在であったインディペンデントな映画館=文化の場としてのグリーン・ハウスについてかなりのページ数がさかれており、非常に興味深いものがありました。

もう一つの地域社会論―酒田大火30年、「メディア文化の街」ふたたび

もう一つの地域社会論―酒田大火30年、「メディア文化の街」ふたたび

 酒田ご出身の仲川氏ならではの行政、商店会などの人びとのつながり、さらには新聞記者との調査協力などを行い、詳細なフィールド調査が行われ、著作が執筆されたことがわかります。グリーン・ハウスとは、酒田の街で起こった大火の出火元であり、その記憶が重要な光源となって、本書はかかれています。よって、「グリーン・ハウス」と括弧付きの表現になっています。議論は、商店街の活性化、地域デザインといった視点へと結びつけられ、非常に実践的な論が展開されており、本書の出版自体がそうした地域づくりの一環となっているように思われます。調査のあり方として、行政や経済界との協力ということで言えば、数字のデータを整備し、判断を仰ぐ式のものが圧倒的に多いでしょうし、だからこそ量的調査が意味があるのでしょうし、「質的調査はなかなか実践的に応用されない」などという嘆息がもれたりもするのでしょう。そうした現況において、本書は、文化の社会学の一つの貢献のあり方を提示しているように思われます。

 本書のタイトルを「もう一つの地域社会論」としたゆえんは、通常の地域研究やまちづくり論にあるようなスタイルから一線を画していることにある。
 1976年の酒田大火により、酒田に根ざしたメディア文化が一瞬にして消え去ってしまった。酒田大火の出火元はグリーン・ハウスであった。酒田のメディア文化を中心的に支えてきたのがグリーン・ハウスであり、そのメディア文化を消し去ったのもグリーン・ハウスであった。1976年、メディア文化の世界は封印された。あれから30年、グリーンハウスで培ったメディア文化を受け継いだ世代は、その封印を解きはじめた。あらたな「メディア文化の街」を象徴するプロジェクトを開始した。
(212ページ)

 欲を言えばきりがないでしょう。街の構築と記憶の構築のかかわりあいのようなものを、より詳細につまびらかにするというような課題がすぐさま思い浮かびます。たとえば「グリーン・ハウス」だけを詳細に描き出すというようなことをやってみたくなります。一つの喪失感と、記憶の構築、そして記憶の力動が突き動かし、構築する現在のありよう。今と昔のテキストとコンテキストのかかわりあい。そこから浮かび上がる、高度成長と格差社会のなかにある「地方都市ノムコウ」などを、人文学テイストで描き出すという衝動に駆られます。しかし、そういう語りとは別様の語り、事実の詳細な記録、街づくりの現況が筆記されていきます。そのことにこそ重要な意味あいがあるのかもしれません。
 仲川さんは、ブルーマーを中心としたアメリカの社会理論を研究されてきた人でもあり、理論的蘊蓄はいくらでもかまそうとおもえばかませたでしょう。また私と同じ年齢であるわけですから、いろいろな現代思想的な用語を乱舞させることもできたでしょう。そこを禁欲して、大学生であった、「1976」から論をはじめ、論を展開していることに意味があると思います。その語りは、いろいろなものと繋がる可能性をもっています。特定のジャーゴンの乱舞へのある決意のようなものを私はここに感じますし、強い共感を覚えます。学問的に取り澄ませば、地元のいろいろな人びとの名前は書かずにすませたでしょうし、知り合いの著作なども「儀礼的無関心」とばかりに言及せずに、「なにが悪いと」開き直ることもできたでしょう。場所によっては、文脈を乱してまで書きつけられたと思われるようなものがありましたが、私はむしろそこに相通じるものを感じました。
 その証拠に山形県酒田市の商店街発アイドル”SHIP”の公式HPにはいち早く本書のことが紹介されています。書店にならべば、多くの市民が手にとって、メディア文化の街づくりを継続してゆくにちがいありません。一つの調査をやり抜いていることに表敬するとともに、とても羨ましく思えます。次回作に期待したいものです。