いせや考

いせやイースト開店

 みくしのA氏の日記で吉祥寺アニメワンダーランドという企画を知りました。一見して実践カルチュラルスタディースっぽいのですが、実際はわかりません。上々颱風とか、東京キネマとかいろんなスペースの冒険が行われていることを最近いろいろ調べています。時には出かけたりしています。吉祥寺では、風呂屋ロックを調べてみようということになっています。いかにもという感じもしますが、ZAZEN BOYS向井秀徳などもでているようです。喫茶カヤシマも要チェックでしょう。いずれにしてもいろいろ考える光源は、成蹊大学の先生方のご尽力によって実現したいせや社長インタビューです。
 いせやは耐震問題から取り壊され、ビルに建て替えられるわけですが、その間の仮店舗として、裏吉祥寺、イースト吉祥寺といわれる地域に店がつくられました。場所はホテルニューヨークのところから細い道に入り、西側に少し行った麺弥のとなりです。ちょっと大きめの焼鳥屋というかんじ。カウンターのお店ですが、うしろにずらっとおっさんたちが立っていたので、あれが立ち飲みなのかもしれません。

吉祥寺の街をめぐる仮説について

 私は吉祥寺の街について、「何でもあるが何もない街」「名物料理が無国籍料理という街」「アンテナショップとテナントだらけの街」「ドラッグストアの多い街」などという言葉で説明してきました。非常に個性的な、下北沢、中野、秋葉原といった街に比べて、あまり個性がないと考えていました。いせや社長聞き取りの前に行った、サンロード商店街の人への聞き取り調査についても、吉祥くじ、盆踊り、お祭り、薪能などの個性的なイベントについて話は聞けたものの、サンロード商店街のお店のほとんどがテナントで、実は「その方がオーナーとしては儲かる」ということもあること、本屋のルーエのように個性的な経営をしている店は少ないことなどがわかりました。
 吉祥寺の街の特徴を表す理論的な視点として、個性なんてものは本来他者性の組み合わせいすぎないという自我論の視点(を応用しようとしました。個性的といわれる街も、実はテナントの組み合わせだったりする。秋葉原なども、大型店舗の組み合わせに、中小の店舗が組み合わさっているだけとも言える。中野のブロードウェーは、オタク的なお店の集合体に過ぎない。だから、問題なのは組み合わさっている個々の店ではなく、組み合わせなのだという考え方。吉祥寺の「こじゃれた感じ」はこのような組み合わせとして考えられるかもしれない。そんなふうに思っていました。
 もう一つは、「都市の余白」という考え方です。『東京スタディース』という本に書いてあったことを適当にアレンジ(というか歪曲??)したものです。個性をぎらつかせている都市のありようもあるにはちがいありませんが、むしろその「余白」にこそ意味があるかもしれない。その「余白」を増幅させた街のありようというものもあるかもしれない。スカスカの空き地だらけのお台場、まるっきり作り物ですと開き直ったかのようなラーメン博物館やお台場の施設などというものは、押しつけがましいメッセージを含んだスタイルとは違うスタイルを提示しているかもしれない。こんなことも考えていました。

「いせや」から見えてきたもの

 まずいせや社長のKさんは、「サンロードなどの中心部は家賃が高すぎてアンテナショップばかりでつまらない。若いセンスのいい経営者が入ってこれない。だからまわりの三越裏、東急裏におもしろい店が多くなっている。その辺をあらためて歩いてみると、地下に手作りのパン屋があるなど『新しい吉祥寺』が息づいている」とおっしゃっていました。テナントやアンテナショップが「つまらない」かどうかはともかく、一つの視点がここに提示されています。
 Kさんの視点を具体的に表すことばとしては、「変わっていないものも変わっている」ということばが拾えるでしょう。アンテナショップのアンテナが向けられた新しいものをつくる街であると同時に、変わっていない伝統的なものも変わっている。古くさいと思われがちなハモニカ横町も昔の闇市とは大きく異なる。闇市では餃子屋は餃子、もなか屋はもなかしか売ってなかった。ハモニカ横町には、ハモニカキッチンのようなものもある。得体の知れない無国籍料理。そこには、女子大通りでドイツ菓子を長年焼いていて、アテスウェイのあおりでつぶれて失業したシェフが流れ着き、料理教室などもひらいていたりする。ほかにも得体の知れないハイブリッドな店が建ち並び、夜になると路地にビールのカートン出して座席をつくって飲んでいる。これは昔にはなかったことだ。そういう風景をKさんはすくい上げていました。また、イベントとして、アニメフェスタにふれていて、コスパレやって、ラムちゃんまで出てきてしまったことがあるなどと語っていたことは、Kさんならではの語りのようにも思われました。
 こうした視点からみた吉祥寺というのは、「いせや」からみた吉祥寺というのにふさわしいものであったように思われます。Kさんの語りの光源には、「いせや」があることはたしかでしょう。京都の「桃山造り」の料亭で、和服のおねえさんたちがすき焼きを出していたような店をあっさりやめて、もつ焼き一本にしたこと。汚い店で立ち飲みという「オヤジスタイル」を、スタイリッシュに提示していること。レトロと言ってすまないような独特のマッチやポスターを使っていること。こうした「いせや」の空間はもはやランドマークだということ。中国人の板前を入れると、豚もつ中華料理を出したりしたこと。そこからシュウマイ、餃子のようなメニューが生まれたこと。まかない料理から、常連相手の裏メニューができ、そこから「おたのしみ」というメニューが生まれたこと。それはおすすめではないので、おたのしみだということ。けっこうやばめのメニューであるレバ刺し、とりわさなどは出さなくなったが、「おたのしみ」では時々出ること。等々。独特のセンスが漂っていることはたしかでしょう。
(注)新宿の西口の通称ションベン横町に、豚の内臓を食べさせる店があり、豚肉の刺身(なんと睾丸の刺身まで)だす店があったのですが、日の丸のはちまきをしたオヤジが、食中毒を出したら腹を切るなどと言っていたことなども思い出しました。これは、ちょっと違うセンスでしょう。吉祥寺の街のおみこしはふんどし、入れ墨禁止なわけだし。ちなみに、ワイルドな街の祭りになると、ふんどしいっちょもいますし、入れ墨ばっかの絵人間みこしに、不法滞在の外国人なんかがラリって加わりとんでもないことになったりしているわけです。