ギディンズ『社会学』テキスト半年

 オレ流の涙にはぶっとんだ。落合博満でも泣くんだな。セリーグは中日が優勝で、菱の代紋のヘッドといい、やっぱり景気がいいって大事なのかと妙なことを思ってみたりもしたが、パリーグのほうは景気がいいとは言えない北海道と九州の対決で、やっぱりこっちのほうが興味を引かれる。しかし、西武はなぜ西口を温存したのかわけわかんないよ。松坂+1で2勝したら、西口をハムにぶつけて、んでもって松坂とくれば、リーグ優勝ひきこめるとかの読みだったら、呑むさんの苦言がドンピシャになってしまうわけだが。
 通勤している。さすがに辛い。睡眠時間が短くなっている。畢竟電車のなかで爆睡する。私は腹が出ているのだが、睡眠時無呼吸症ということもあるのだろうか、反り返って口を開けてねるということはない。よこの人にしなだれかかることもない。むしろ前傾姿勢になるのだ。腹が出ているのに。空いていればいいのだが、ラッシュのときはまずいこともある。さすがに頭突きをしたことはないのだが、起きたら前の人が困った顔をしていたことは何回かある。寝ないためには語学のヒアリングが一番だが、ついつい心地よい音楽にかえてしまったりする。しかしラッシュはすさまじいね。遅刻した学生さんを怒れないよ。w
 多少の厨房ネタでも面白いと思ってしまう自分をいけないと思うことも多いのだが、さすがに今回のなんちゃらバーガーネタについては、萎えた。というより凍りついた。しゃれにならないとはこのことだろう。おふざけメディアでもさすがに黒木香の談話を載せたりはしないだろう。ぶすだきもこもこれをネタにすることはないだろう。それにしても厨房的言語感覚のすさまじいまでの捕捉力と破壊力、マグマのようなエネルギーには感心しないわけにはいかない。
 ともかく、パソコンに大事なデーターは保管しないことなんだろうな。大容量記憶装置に記憶して、使うとき以外は外しておく。作業が終わったら引っこ抜く。作業で使ったファイルの残骸に茂注意する。というようなことで対処するのが一応の今のところのやり方なんだが。まあ私の場合そこまでやるほどの大事な書類というのは、あまりないわけで、フロッピーでも対応できるくらいなのだが、一応気どって大容量記憶装置を使っている。
 ギディンズの『社会学』を使って二年ゼミをはじめて半年が過ぎた。後期2回目を本日終わった。ちょっと失敗だったなぁとも思っている。思っている理由としては、厚いというのが、最大の理由。分量が多い。学生はあたる回数などもあって、節ごとに分担を決める。報告が長くなり、議論ができない。メリハリがないから眠くなる。その他には、イギリスの例が多いので、まったく日本人にはどーでもいいような記述もたくさんある。最先端の理論をほぼ網羅している一方で、時事問題解説のような平明な例解がたたみかけられる。それがさすがギディンズというところなんだろうが、社会学的視点としてガツンと胃の腑に落ちるものがないような気がする。エッセイ風の社会学をやりたいとかうそぶいていても、本音の部分では総論型なのかなぁなどと思ってみたりもする。たとえば、あさの本などにあるように、純粋な関係性みたいなところで、社会学の定義と、構造変動論のコアをガツンと提示し、その上で図式的になってもいいから、各領域をシンプルに整理したようなもののほうが、学生にはわかりやすいんじゃないかなぁと思う。
 で、ひらきなおって、後期は趣旨の説明後すぐに問題集の部分を中心に議論するという形式にした。学生に簡潔に説明させ、用意していった質問をたたみかける。たとえば、組織論のところでは、サッカーのチーム作りだとどうなるなどという問題を準備する。さらに小分けした質問を準備していて、けっこうやったね!と思って教室に行ったのだが、サッカーに興味がある人が暮らすに一人で萎え萎えだった。w
 この他考えたのは、用語を整理する人、数字を整理する人、全体の趣旨を整理する人・・・などの分担それ自体を討議して決め、その通りに報告をつくってくるという方法だ。報告はむしろ持ち帰って次の週全員に配布するという方法のほうがよいかもしれない。で、最後の課題は、紙一枚に全体を整理し、ノート整理をして提出するというようなやり方がいいのではないかと思う。
 講義評価の点数があまりに萎え萎えなので、全国のシラバスなどをみるようにしている。馬路かよというくらい、内容が豊富なものが講義されている。それを見て思うのは、もっとゴシゴシ鍛え上げた方がよいのかもしれないということだ。それともう一つ。私は法則化運動に全面的に賛成するものではないけれども、かなりの関心をもってきた。で、大学教育の法則化運動みたいなのがあったら、ボクもプロ教師に近づけるかもしれないなぁなどと思ってみたりもした。自分ではとてもできないが、誰かやってくれないかと思って検索したら、ない。でも、放送大学の社会調査やライフコースなどのプログラム、松山大学他の調査方法の実践などは、そういう成果と解釈できないこともない。ただやっぱり、文化の社会学の法則化とかありえねぇよなぁ。
 岡山に赴任する時に送別会をやってくれた田崎英明氏たちに、レポートのコメントは全員につけるべきと送り出され、希望あるなしにかかわらず最初はやっていて、それが数年後希望者だけになった。女子大に来ても、やっていた時期もある。卒論がそのうちきつくなりはじめて、今はちょっとやっていない。やはりそれは堕落かもしれない。