長い文章を書くこと

 みくしでまいみくから、苦ッ!という映像を公開しているサイト(純正)について教えてもらい、しばし盛り上がった。音が小さいので、もしかしてと思って、規制間近と言われている某一般人実況サイトを見てみたら、あったはあったけど、年齢制限かかってやがんの。よく考えてみるとさもありなんだけどさ、漏れたぶんああゆう4文字言葉ノリノリの英語なら、けっこうしゃべれるんじゃないかと思うんだよね。テレビ講座英語だと、道案内もびびるんだけど。w
 昼休みにテレビをつけたら、ゆうこりんがでていた。最初の紹介のところで、102歳ほどではないが、若干の余韻があり、「間」があいてから、観客一同「かわいい!」。そして、シナショーも爆笑も柴田理恵もみんないい人で、ネタフリするわけだけど、かんじんのゆうこりんの表情がかたい。「コリン星は千葉県にある」などとちょけていたころと大違いだ。ボクは「よいこりん☆」とかやってくれるかと思って、ものすげぇ期待していたんだぜ。浜口も「こりん」ネタで盛り上がったりして。さんまちゃんだったらさ、けっこううまくやると思うんだけどね。ただまあ、たぶん事務所の判断は、それなりの市場調査をした結果だろうから、おもしろがっちゃうのは気の毒だとは思うんだけど。と思っていたら、谷原章介降臨。柴田理恵「きれいにしゃべる人、かっこいい」と興奮状況。
 昨日おとこおばさんをみていたら、「グエムル 漢江の怪物」のことをしていた。テレビでひつこくプッシュしていたので、また井筒和幸監督激怒の図なのかなぁと思っておりましたのですが、主演ソン・ガンホときいてぶっ飛んだ。しかも、監督が「殺人の追憶」の人らしい。黒沢清のつくったプルガサリかよと笑っちゃったけど、ワープだよなぁ。すげぇポップだと思うけど。w ググったら、『ソン・ガンホ:「グエムル 漢江の怪物」 怪獣と対決するダメおやじを熱演』という記事が毎日新聞のサイトにあった。談話「「最初は怪獣映画は好きではないし、聞いたこともない話で当惑した。それでも監督を信頼しているし、当惑するようなものこそやってみようと」。かなりみてみたくなった。韓流マイベストは、いまだに『イエローヘアー』でかわらないんだけどね。
 卒論の指導をしていると、――どんなになめきった勉学態度だった学生たちも――少し作業をはじめてみると、呆然として、質問に来る場合がある。こういうときガキっぽい椰子は、かならず「何字でしたっけ」と聞くんだよ。「40000字が規定」というと、「ホントにそれだけ書かなくちゃダメですか」と、ガキは言う。標準はそうだと書いてあるわけだ。また、「卒業に値するものなら10枚でもイイ」という規定もあるらしいということも伝えてある。「いいですか?」と聞かれると、伊武雅刀の「子どもたちをせめないで」を熱唱したくなるよ。馬路。
 誰にでも、ガキっぽいところはあることはたしかだけど、慣れないことになると、なんで学問を矮小化したゲームに変換しようとするんだろう。字数のゲームにして、どうなるもんでもあるまいよ。実はうちの父親は『心に残る話』みたいなのに投稿するのが趣味みたいになっているんだけど、60代くらいに字数の短いものに応募することで腕を磨いたので、そういう書き方が「慣れた書き方」になっている。齢を重ね、長編にチャレンジし始めた気合いはすごいと思うのだが、長いものに応募しようとすると、どうにもからっきしになっている。字数のゲームにすると、つまんない身の上話がだらだら書いてあって、読む気も起こらないような文がちりばめられたものになってしまったりしている。字数を埋めることばかりに一生懸命になっているからだ。
 長く書くだけなら、たいして難しいことじゃないだろう。マンガを書くなら、マンガの歴史、各国のマンガ、調査(ないしは肝ネタの展開)結果で、いくらでも書けるだろう。だから、卒論のテンプレートにもこの三つは入れてある。だらだら書いたって、言いたいことが言えてなければ、落とすというシビアな先生もいらっしゃるだろう。でもまあ、だらだら書いているうちに、不安いっぱいで、なにが言いたいかわからなかったのが、見えてくることもある。*1とりあえず字数埋めてみて、論を振り返って、「言いたいこと」が言えているか点検する。この作業がどれだけできているがBの基準で、言いたいことが社会学的に理論構成、理論展開できていればAの可能性が出てきて、まあそれなりに独自性があればSというのが、だいたいの目算だ。
 ほかにもテクニックはあるだろう。5枚のレポートを書き慣れていたら、5枚を基本ユニットに目次案を作ってみる。10枚、20枚の経験があれば、もっと話は楽だろう。ただし、100枚の論文は、10枚を10個書くよりは、楽だと思うよ。だって、理論構成理論展開は一種類だから。そんなことを考えながら、一年から勉強して、定期試験などを一生懸命やることで、学問は進歩すると思う。答案と成績を対照させ、結果を文章にまとめるとか、そういう日々の雑記を積み重ねた人には、卒論はとても楽しい作業になるはずだと思う。優の数のゲームとか、怠けてちんけなワルやって単位もらったゲームにしているようなやつは、もう時代遅れなんじゃないかなぁ。特に後者。こっちのほうは、私が言うんだからたしかだよ。w
 野口悠紀夫先生ではないが、私はあまりKJ法みたいなのは有効だとは思わない。今やパソコンがあるのだから、レポートの文章だとか、あと使えそうなのをいろいろ打ち込んでおく。本を読んで書き抜きをしておくとか、調査実習のデータ打ち出したら、報告書形式でまとめておくとか。っつーか、調査士の時代だから、報告書まとめるのは義務に近いところも多いだろうし。で、まあ、タグみたいなのつけておけば、いろいろ組みかえする知的作業は、過去のどんな知的生産の技術よりも可変的にできるだろうし、個室で勉強するよりスタバのほうがはかどるみたいな人は、ぶろぐでもやればいいわけだし。
 たださ、文章って技術だとは思わないんだよね。先輩や友人で語学ができて、国際的に活躍している人はけっこういて、「語学だめなんすよねぇ。すごいっすねぇ」とかゆうと、みんな「自分なんかたいしてできない」って言う。え?と思うのだが、素で言っている。上には上がいるってことだけど、結局国際会議でなんかしたり、外国で商売したりってことは、「言う内容あってのこと」らしい。まあある程度はできないといけないんだろうけど、内容があれば「あとはアニマル浜口」らしいよ。専門家でも、このへんはついついあやふやになる。知識や、概念や、論法や、レトリックや、図式や、そんなこんなの自己顕示ゲームに論文が変形してしまうことはある。だから、人に叩いてもらう必要があるわけだけど。また人を叩くことでわかることもある。「ほめられて伸びるタイプなんですぅ」とか言われると、困るんだけど、実は上手くほめるのと叩くのは同じ紙の裏表みたいなところがある。素で喜ばれるとトホホだけど。
 おまえはどうだということだが、私の場合ウケそうなネタになると、がんがん書いてしまう。たとえば、ミルズがパーソンズを批判するくだりを執筆しているとき、「裸の王様」だと言っているようなところがあるんだけど、思いつきでキングネタにできないかと思ってしまい、バカなネタを、さりげなく隠しキャラにする工夫をするのに、2時間もつかっちゃったんだよな。まあさすがにこれは、経験で自粛できたわけだけど。w
 どんな作文にも小論文にも対応できるってやつは、問題を自分なりにとらえ返して、理論構成と理論展開を的確にし、「言いたいこと」をクリアカットできる人だと思う。「これっていけるかも」みたいな「っぽい」ものをあてずっぽで出して、たまにほめられると喜悦するだけの人は、そういう試験に即応できないだろうなぁ。そんなことを考えながら、ひたすらいろんな本を読むことで、ものの言い方が見えてくる。今は小論文の神みたいな人たちが、そういうエッセンスをまとめているし、最近は早稲田の先生も『教養としての大学受験国語』作文編みたいなの出しているし。少なくとも夏休みにそのくらいは読んでおいて欲しい気はする。もちろん主題にあった資料収集などと平行してだよ。
 それでも長いのが書けないとか、筆を起こすのが不安というのならば、どんどんうちこんでみることをすすめたい。とりあえずうつしてみるとか、コピペを編集してみるとか。もちろんそのままだと不正行為だけど、その上にじっくり重ねて描きこめば、イイと思う。ただしこういうのは、指導者にきちんとチェックしてもらわないと、処分されちゃうかもしれないから。

*1:言いたいことがわかって書いている人は、そんなにいない。石川淳みたいな人だって「書いてみなくちゃわかんねぇよ」ッテ言っているわけだし。だからこそ、早い時期に書き始めることが重要なんだけどさ。