増田聡『聴衆をつくる』

 増田聡さんからも本が届いていた。前に『音楽未来形』という本をいただいたので、おかえしに分担執筆した本をさし上げたら、また本をいただいてしまった。まったく恐縮である。若手の俊秀は、通常無表情でクールな人が多いのだが、増田聡さんはにこやかな人だ。そして、私みたいな者にも本をくれる。本当に恐縮する。これは三浦氏もいっしょだけど。ありがとうございました。『音楽未来形』では、メディアの発達ってこともあり、みんなパソコンで音楽つくったり、編集したりして、楽しむほうがおもしろくなっちゃうんじゃないかみたいな、グールドもぶっ飛ぶ未来派野郎ぶりだったわけですが、今回は私たちが音楽を聴いている枠組を一つ一つぶっこわしてゆくという、ラディカルな仕事を発表された。今回の著作も非常に面白そうな本である。

聴衆をつくる―音楽批評の解体文法

聴衆をつくる―音楽批評の解体文法

帯より

 歌っているのはあなたではない。/いま音楽を語るとき、何を前提とすべきなのか?テクノロジーの土台の変化によって、「音楽」そのものが動揺しつつある現状を思考すること、音楽に絡みつく「日本」の現在に介入すること、既存の音楽言説が自明とする諸概念を疑うこと。音楽批評言語の組み替えを通じ、新たな「聴衆」をつくる野心的思索=投機/いまさら疑ってもみないこれらの概念はしかし、われわれの音楽についての語りを硬直させる躓きの石でもある。「愛の対象」を取り出すためには、その石をずらす必要があるのだ。

目次

まえがき−−愛着のディスクールを離れて
第1章 聴衆の生産−−「聴くこと」の文化研究
第2章 ジャンルの牢獄
第3章 形式美学の限界−−小泉文夫の歌謡曲論について
第4章 誰が誰に語るのか−−Jポップの言語行為論・試論
第5章 日本語ロックの問題系−−はっぴいえんど史観を留保する
第6章 記号としての「ニッポン」−−軽やかに歌われる君が代ポップ
第7章 音楽を「所有」すること
第8章 複製技術の時代の終焉

 私が余計な言葉を付け加えなくても、目次や帯をみるだけで、ほぼ言いたいことはつかめるだろう。語られている問題は、断片的には脳裏に浮かばないこともなかったことではあろうが、そこに絶妙な角度から切り込み、念入りな研究をふまえ、整理の行き届いた、しかしコクのある文章で書かれているのは、すごいものだ。第8章のタイトルをこうつけて、「作曲」の時代と言う風にしめくくった気合いも(・∀・)イイ!!と思う。そして、第3章のタイトルには、壮大な野心を感じた。さあ、泳いで、採点だ。わはははは。