迷いのないこと

 先日「別館」で知った『動員史観序説』をセブンイレブン受け渡しで購入した。理由はないが、一度利用してみたいと思っていたから。自費で買う場合けっこう便利だ。セブンまで一分もかからないし。この本を買ったのは、ミルズについての研究書も出しているブリューワーが「別館」で言及されていたからだ。南アフリカ北アイルランドの和平と社会学的想像力の関わりについて論じたブリューワーは、ベルファスト大学教員で最近訳書が出ている。

近代・戦争・国家

近代・戦争・国家

 シカゴ学派からパーソンズへの流れを眺めながらサブカルチャーについて考えているときに、「動員」という鍵語を思いつき、ぼんやりと構想をめぐらせてきた。パンクにサブカルチャーを「論じる」こともなにかしらにサブカルチャーを動員していることになると思ったし、そう考えないとまたぞろ「聖域」のようなものがつくられてしまうわけで、「動員」で通して考えるとキチッと筋が通ると思った。しかし私はボーっと考えるだけで、読み通して論じきるということには至らなかった。入手したばかりで詳細は読解していないが、自分がぼんやり思っていたことを、豊富な勉強量で論じきっているように思われた。統治論の切れ味とどう対峙し、オトシマエをつけているか、じっくり読解してみようと思う。
 話は変わって『功名が辻』。本日は官兵衛救出の絵図。筒井道隆演じた半兵衛の後任とも言える役どころをどうこなしていくかというのが、これからの注目事項の一つだと思う。あともう一つは、ふたたび小りん登場。長澤まさみって、知らなかったけど、かなり若い女優さんなんですね。堀越学園ネタでよんでびっくりしますた。以下やふうの紹介文。「迷わぬのは上様のみ」というのは、わかりやすく、含蓄ある台詞だと思う。迷いをもった愚直な一本槍。みんなそうじゃんかみたいな。あとは見てからまたなにかあれば。−−小りんは兵糧攻めのなかで飢餓で視力を失う。偉くなるとえげつなくなるみたいなことを一豊はゆわれる。迷う一豊。光秀も誰も彼も迷う。ところがもっこ館ひろしがつかえないものをリストラ。これぞ統治の妙味というべきか、あるいは・・・。出世、リストラいろいろなものをここに重ねてみることができる。昔の水戸黄門と同じ作り方じゃんかと思っていたら、信長は濃に「光秀が好きか?」と目をむく。独特の歴史解釈もふんだんに盛り込まれているぜみたいなスタッフの声が聞こえてくるようだった。その後のニュースでアニマル濱口が吠えていたのにはぶっ飛んだ。

第20回「迷うが人」(5月21日放送分)
 官兵衛(斎藤洋介)の寝返りを疑う信長(舘ひろし)の命で、一豊(上川隆也)は嫡男・松寿丸を殺害せねばならなくなる。敵方から官兵衛が救出された。絶句する信長に、一豊は松寿丸が生きていることを告げる。千代(仲間由紀恵)が松寿丸を隠していたのだ。落城した敵方にまぎれていた小りん(長澤まさみ)と再会する一豊。武士とは何か思い悩む一豊に光秀(坂東三津五郎)が「迷わぬのは上様のみ」と答える。

 トム・ハンクスの『ダビンチ・コード』を昨日の深夜見ようかと思ったが、一時過ぎなのに、立ち見になっていた。かなりぶっ飛ぶ。その次の回だと、朝までになる。いくらなんでもと思い自粛。もちろん今日は無理だ。昨日かえったら、銀幕会議でやっていた。かなりいろんな仕掛けが施されているということが、解説されていて、映画好きで知られる笠井信輔アナがおーもりあがりだった。もぎりのねえさん(斉藤舞子っていうの??アナ??)が、最後の採点で正五角形をつくり、「偶然とは言えそれは映画の核心と関わる。鳥肌たった」と予告座館主佐野史郎が語っていたのは仕込みなんだろうか。でも、多くの人がワクワク見に行くのだろう。しかし、欧州の某映画祭で上映されたとき、トム・ハンクスがキメの台詞を言ったときに客がみんな「プッ」と吹いたみたいな報道がしてあり、新聞各紙もボロカスだったらしく、どんなモンなんだろうかと思う。客も入りまくっているみたいだし、こちぢばで井筒和幸監督に存分に斬ってもらうのをみてから、見に行くかどうか決めたいカンジ。w けっして断じて別に私はぬるい映画が嫌いではない。トム・ハンクスだって、『ユー・ガット・メール』とか二度くらい見たよ。メールが来るとさ、「ゆーがっためーる」とかゆったりして。しかし、なんか、今回のも、きな臭いカンジはぬぐえないわけですよね。かんけーねーかもしれないけど、この前のミュンヘン五輪の映画とかみて、井筒監督がぶちきれていたのはなんとなくわかる気はした。アル・ヤンコビックがもしまだ健在なら、ファルコのぷっしゅぷっしゅの替え歌でブッシュブッシュでも歌ってもらいたいところだけど。w