西原理恵子『毎日かあさん』

 忙しいはずなのだが、いろいろあってまたまた横浜へ。うだうだすごしてしまう。若干焦る。が、例によってパチンコへ。アカハタとアカハラは一文字違いで、最後伏字にしたらあれじゃんかなどと馬鹿なことを考えながら、ぱちんこ冬のソナタをする。私はパチンコ以外で冬ソナをみたことがなく、チェ・ジウペ・ヨンジュンしかしらないので、まったくわけわかめなのだが、雪が降るジャキーンという効果音、「焦らしに焦らしてジャキーンと大当たり→抱擁」ドラマ画像全開というパターンには、なかなか萌えるものがある。一人某社会学者にちょっと似た登場人物がいることに気づく。けっこうつっこんでいたら、マリンでいう魚群みたいなのが出て、大当たり。焦らしに焦らして抱擁接吻のところで、ヨンさまの目がより目になるんだけどさ、しかもしばしストップモーションでさ。アレってギャグでしょ?京楽さんの?みたことないからわかんねえよ。まあともかく。ヤッタネと思ったが、この機種は思ったほど炸裂感はない。ドル箱四つというカンジ。しかし突然確率変動が入院モードというのは笑うよね。
 有隣堂木山捷平の『鳴るは風鈴』。篠田一士『三田の詩人たち』(いずれも文芸文庫)を買う。『鳴るは風鈴』は、かねてより手に入れたいと思っていたが、注文するでもなく、大型書店に行くでもなく、うだうだしていて入手できずにいたものである。今回『長春五馬路』が新刊になって、ついでに入荷したんだと思うけど、うれしかった。昨今ブログで話題になっている「村上春樹は父を描いていない」→おしまいというのに対応させたわけじゃないだろうけど、「この作家にはテーマがない」→おしまいみたいに解説してある。帯には「ひたすら 淡々と 生きる」とある。ゆるい、市井、諧謔、ユーモアなどということばを信じちゃいねーよみたいなことを、べらんめえにシャウトするわけでもなく、げらげらするわけでもなく、いかにも岡山の人らしく語っているように思った。この人の名前がつけられた文学賞佐伯一麦が受賞していることから読み始めた作家だけど、どれも一気に読んでしまう。ヴァナキュラーについて、何かちゃんと書いておくべきだったというか、『若者文化のフィールドワーク』を書いたときにちゃんと編集者のいうことを聞いてこの論点をもっと押し出しておけばよかったと、この本となんで関係あるかわからないけど、なぜか反省した。『長春五馬路』ももちろんよい。 

毎日かあさん3 背脂編

毎日かあさん3 背脂編

 他の日記でも話題になっていたので、サイバラの新刊を買おうと思ったけど見つからず、ようやくこれも今日買えた。ぺらぺらとめくっていたら、なにこれエッジたちすぎじゃねぇの?と思ったら、「ご挨拶」という別作品?新聞見てないからわからない。谷川俊太郎の詩がついていると書いてあるが、絵がともかくカチンコチンエレクト。岡本太郎も爆発しそう。w自己模倣なんてださいことしないよと言わんばかり。絵と文の躍動は、さまざまな過去の画風をぶっ飛ばしながら暴走し、最後に「ありがとう」で結ぶ。やっぱサイバラはすげぇや。あんぱんまんのやなせたかしの対談なんかもついている。「紙ねんどで犬のうんこ作り大会をした。草や髪の毛を入れてよりリアルにしたら子供にほめられた」というのは、もうモロオレじゃんみたいなカンジだったけど、そういう子供のあれやこれやは、木山捷平の描く人間に通じるところがあるようにも思われて仕方がなかった。