ベタな私:スピードワゴン小沢&小野真弓ネタ

 本日は女子大の入学式である。閑散とした地方都市の商店街の夕方のようだったキャンパスも金曜日の新宿のような活気である。入学式は席順が決まっていないので、バラバラに座っているが点呼がある。一人ずつ名前を呼ばれ、学長、学部長、理事長、後援会長、同窓会長などのお話があった。滋味あふれる挨拶、凛とした挨拶などそれぞれに興趣あふれるものだったと思う。こうした式典や大学の建物などから、受験のロジックとは違うものを感じ取り、身体化してゆくということが、大学で学ぶということのαにしてΩなのかなぁと思ったりもする。私は大学卒業から30年近くになるわけだが、教室や図書館で学んだことももちろん大きいが、入学したころのキャンパスの風景、大学の建物、そこに向かった勉学への期待、若干の敗残意識などが鮮やかに思い出される。そう、ペギー葉山の学生時代を口ずさみたくなるような。。。
 私は「図書館のノートとインクの臭い」という歌詞を思い浮かべると今でも胸が熱くなるのである。午後は上級生のガイダンスがあった。四年生で公衆の面前で「内定しますた」というのがいて、今の時期にそんなことゆうとみんなにいぢめられるぞと思ったら、家業を継ぐらしい。家業といってもなかなかモダンなもので、「先生」になるのだそうだ。これ以上は個人情報で言えない。要するに「内定しますた」は一種のネタなのであった。
 冒頭で入学式の怒ベタな話をしたのは、別に本日くりぃむしちゅーのたりらりら〜んスペシャルでたりらりベタSPがあるからというわけではない。上級生ガイダンスの時四年のゼミ生から鬼バカにされたのであった。なにか?それは、スピードワゴン小沢と小野真弓がケコーンするという件である。ボクはやふうのHPとフジテレビのHPでみて、がちまぢで信じ込んでいた。そして、イイカンジと思い、エントリを書いたのである。そしたらさ、フジテレビで最後にこれはネタだとゆったらしいんだよね。こっちはノリノリで執筆していたわけだから、小沢が泣いていて、イイ椰子じゃないかとか書いちゃったわけだよ。小野真弓もがちまぢで喧嘩していて「ケコーンやめようか。恋人でもいいぢゃん」、小沢「ちょ、ちょまて!」このくり返しだし。なきまくりで怪しいとも思わず、イイ椰子とか書いちゃった。言い訳のしようもない。鬼ベタな私。
 もうまったくもって「ネタではないか?」という疑問をもたなかった自分が恥ずかしいものがある。昔はさ、家庭教師のガキだとか、弟に、蟻酸を「ありさん」と読むと教え、学校で「はい!ありさんです☆」と元気よくこたえて、おーバカにされて帰ってきたのをアヒャヒャヒャと笑い、小学校の先生に「くろのしみちょろ」とゆって騙し、勝負下着で重装備していた先生にボコボコに殴られ、あるいはまた中学時代はもっとえげつない仕掛けの末端の一人にくわわり、存在自体キャンディッドなネタ人間と自他共に認めていた私がである。えげつない仕掛けというのは、あまり言うのも何だけど、アホな奴が級友にいて、こいつに級友の妹の名前で手紙出したんだよ。電車のなかからあなたをみて、片思いしていますたみたいなの。そしたら、そのアホが返事書いてきたのね。「ボクは勉強しなくちゃいけない。でも健全な交際でおともだちとして」みたいなの。これを妹から受け取ったおにいちゃんが、教室のうしろに貼ったわけ。もうよってたかって、バカが勉強もクソもねぇだろとか、なにが健全だ、おともだちだとか、もう酷かった。今考えるとそのアホは偉かったと思うよ。目が虚空に飛んでいたけどさ。怒らないで悲しい目をしていたからな。スピードワゴンの小沢のように。
 日記のエントリ読んだゼミ生「あれ信じてたの?超インクレディボー」。ワシ「勉強が忙しくてさいごまでみてねぇからだよ。学問に生きる男さ、ワシは」。ゼミ生たち「ふつーみていて途中で気づくぢゃね?はずかしくね?」。ワシ「どうもエントリへのアクセスが多いと思ったんだよ。コメント欄にかき込むより、黙ってみてアヒャヒャヒャしてたんだろうな。つーか、フジテレビまた新趣向じゃね?あれ四月バカの日だっけ?そうでもねぇだろ。視聴者参加どっきりってか、あーあ」。仏教大学の大学の歌にもなった、バブルガムブラザーズの「ビューティフルデー」をブルージーに歌おうか。「誰からもお人好しだと言われ続けてた。騙されて気づいたことは、騙したくない」。ああああ、鬼ベタだ。w