コメンテーター策謀の顛末w

 午前中出先の駅でボーっと携帯をみていた。そしたら、まいみくしの日記にポピュラー音楽学会の研究例会の案内が貼ってあった。時間があったので、行く気になった。帰って研究室で執筆の予定だった。正直現実逃避であったことは否定しない。理論構成としては、やはり聞かなくてはならないと思った。テキストにおける話の枕となっている「アメリカニゼーション」についての独自な論及は、なかなか刺激的である。マクロで理論的な文献議論とは違う、口述の歴史、記憶の歴史・・・などというと、流行の理論のツボにはまりまくるから萌え萌えで面白がっているわけじゃない。が、松田素二のソフトな抵抗論だとか、スペルペルを援用したアメリカ文化の横領論などを思い描き、ワクワクしていたことは否定しない。まあ、「抵抗」というのは、にゃんともテヘへだけどさ。

JASPM 2006年度関東地区第1回研究例会

日時:2006年3月4日(土)14:00〜18:00
会場:東京経済大学6号館 6階 共同研究室1
(中略)
プログラム:
書評会:東谷護『進駐軍クラブから歌謡曲へ 戦後日本ポピュラー音楽の黎明期』(みすず書房
 評者:舌津智之(東京学芸大学・非会員)
   :木本玲一(東京工科大学
   :大山昌彦東京工科大学
 著者:東谷護(東京工業大学成城大学
 司会:大山昌彦東京工科大学
*評者に『どうにもとまらない歌謡曲』(晶文社)の著者である舌津智之さんをお招きします。
http://www.jaspm.org/meets.html

進駐軍クラブから歌謡曲へ―戦後日本ポピュラー音楽の黎明期

進駐軍クラブから歌謡曲へ―戦後日本ポピュラー音楽の黎明期

 コメントは理論的立ち位置、論壇的争点へのコミットメント、トポスとしての横浜、横浜のローカリティとアメリカニゼーション、「境界」としてのフェンスなどなど、一般的な読み手の「ひっかかり」のなさがいろいろ議論されたところは、私にもなんとなくひっかかりがあった。「ソフトパワー論」に論及しつつ、アメリカニゼーションの理論構成をつこうとしていたのは、けっこうツボだった。でも、音楽学的な議論のところは、ちょっと理解を超えていた。著者のリプライは、「ひっかかりのなさ」に対する反論を、論壇的な知やアカデミズムの知に対する批判として展開し、碩学歴史学作品にあるような実証性をガッツリ打ちだし、かつ新しい学問領域を開拓する情熱を滲ませるものだったように感じた。なるべく奥歯に物が挟まったような物言いをするようなスタイルは、私にはかなりのツボで、しかしそれでスーダララッタではなく、言うべきを言い切り、批判として提出された「ひっかかり」についての議論を学者商売の議論として戯画化してしまったようなカンジがして、すげぇもんだと思った。流行を意識して立ち位置を決めるステップワークではなく、コツコツ突き詰めること。何年もたっても読まれるようなものを書くこと。そんな話になったとき、一瞬シーンとさせて、ギャグる呼吸は、この研究会の健全さであり、敬意を覚えた。
 これがまた、後輩コメンテーターへの教育的指導にもなっていたのかなぁと思う。っつーか、若いコメンテーター若干1名が真綿で絞められるようにいじられまくっていたのはうけまくっていた。遠慮がちに批判をはじめたら、「もっとはっきり言ってイインダヨ」とにこり。そのあと四方八方からつっこみ。「これってコメンテーターがヤキ入れられる会なんすか?」。わはははは。最後のほうで著者が「噂によると、この前ボコられたお礼参りだ、いわしたるぞごるぁあああとかゆっていたらしいね」。コメンテーター「それはつくりッスよ」。大爆笑のうちに終了。ますださんに会い飲み会に声をかけていただいたが、ちょっと用事があり直帰した。