人間の光と影@時効警察

 はてなダイヤリーのキャッチコピーに「キーワードでつながる」というのがあったと思う。おとなり日記というのも出てくる。要するにトラバやコメントという、なんとなくわざとらしくて抵抗のある礼儀作法を身につけなくても、なんとなくながめてつながれるってところは、『“意味”への抗い』に書いてあった「儀礼的無関心」のくだりとも関連して興味深い。鍵語ばかりでなく、ログ解析でもつながれるのである。どこからやってきたかと言うことで、思わぬコンテクストと接続される。そこまで大げさなことじゃないけど、似たような体験をした。今朝、「オダギリジョー+河本」というアクセスがあった。なによと見てみると、ウィキペディアの記事とつながる。次長課長河本はオダギリと小学校の同級生なんだね。しかも、お笑いの舞台に誘ったけど断られたらしい。井上はどうかわからないけど、おだぎりについて「あの人お笑いの人じゃなかったの」と言った意味もまた新たなものとして確認できた。1976年生まれ。私が岡山に赴任したとき、次長課長やオダギリは9歳だったと思うと、なかなか光陰矢のごとしなものがある。
 一昨日録画予約した「時効警察」をようやく見る。今までで一番面白かった気がする。一応の理屈を言えば、正常と変態、意味深長と意味わかめ、趣向と無意味・・・といった、人間ドラマ、キャラの「光と影」(both sides)が凝縮されている。ダジャレ変態歌舞伎もオダギリジョーの二役も二人の女子高生の対称性もなにもかも、細部逐一にわたって、論理的な趣向性をテレビドラマとして具現して、脚本はルイス・キャロルか、はたまたジョイスかというようなけれん味と、軽快なステップワークで生き生きとしている。理屈づけなんてものは、“both sides now” が昔のヒット曲だったという蘊蓄とか、あるいはたとえば「ライフイズビューティフル」という映画タイトルはトロツキーのことばから来ているというような蘊蓄と同じくらいにどーでもよく、そんな蘊蓄をゲラゲラするように映画も「時効警察」も面白いのである。むしろ強引に幾何学模様に図式化しようとしている趣向があれば、それは人為、雑味としてしりぞけるのが、本道なのかもしれない。

霧山(オダギリジョー)は、15年前に女子高生・立花律子(真木よう子)がセーラー服のスカーフで絞殺された時効事件を調べることに。律子は朝日ヶ丘大学合格発表の日の夜、共に同大学に合格した親友・関ヶ原弥生(櫻井淳子)と喫茶店「森の荒熊」で合格祝いをした後、店から徒歩10分ほどの森へ自ら赴き、殺されたらしい。その森では当時、痴漢被害が続発していたため、変質者による犯行との線で捜査され、半年後に霧山と瓜二つの無職・山崎晋也(オダギリ・2役)が逮捕された。しかし犯行時、山崎が別の場所で強制わいせつを働いていたことが判明し、事件はそのまま時効を迎えてしまった。
http://www.tv-asahi.co.jp/jikou/002story/index008o.html

 先ずオダギリの二役に驚く。山崎の「別の場所で強制わいせつ」というのが、女性とメスの山羊が相手というのだからぶっ飛ぶ。半端じゃないサイコな演技。しかし、意図的にだろうと思うが、楽しげにポップに演じられている。メスの山羊はやばいだろ。宗教によってはあぽーんされているはずだ。今日のオダギリは、まぢやべー。その後も男子学生になよなよせまり「あっちの人?」「そうぢゃね?」などという会話=これがマンガの吹き出しみたいに出るの。一カ所だから、趣向性がイヤミじゃない。そして、オダギリがそれに「あっち系じゃないから」とかぶせる。この後山崎役のオダギリは下着泥シーンに登場。盗みまくって隠しカメラにVサイン。それを見て、十文字他ぶっとび。やばいやばすぎるとかゆっている。熊本は、わけわかめなことにへそがかゆいとかゆってんの。その後オダギリ登場で、一同フリーズ。オダギリ三日月に「セーラー服もってきてくれた?」「変質者の森につきあってくれ」。固まる三日月そして、「霧山は自宅で事件の瞬間を検証しようと、セーラー服を着て実験するが、ひとりでは上手くいかない。そこで三日月を呼んで再実験」仕様として三日月に電話「一人じゃできない」。三日月「変態でも(・∀・)イイ!!モン」とかゆってでかけやがんの。セーラー服を脱ぐオダギリ。逆△のムキムキ上半身。ここでパッション屋良の「う〜んう〜ん!」と連発したら、脳血管がきれるほど笑ったと思う。ついでに、学校に侵入してスクール水着を着て脱糞した奴のパスティッシュもみたかった。オダギリなら、というかこのスタッフならきっと水着は後ろ前にしたと思う。こうした変質描写に対し、オダギリが真摯なシーンで狂気な眼をしていたことも印象に残った。
 ワクワクしながら、趣味で捜査に没頭するオダギリと、恋する三日月のひたむきなかみ合わないやりとりがずっと続く。三日月とオダギリの会話がまったくかみ合わずというか、独自の世界の独白が並行してすすんでいるカンジ。これが二人の恋は平行線という感傷ではなく、よのなかそんなもんとポップにはじけている。これは、根岸季衣が突然木っ端役でててきたところで、ひつこく、というかわかりやすく説明されるカンジ。ゴーゴリというロシア人が出てきて、ロシア語と、根岸の通訳と、オダギリの日本語のからみで、トリックの確信である「Rの秘密」が語られる。会話になっていないで、勝手なこと喋っていながら、なんとなくそこに人と人とのつながりができる。オダギリジョーが、「せんきゅー」「ノープロブレム」とか、ポール牧師匠のような発音でゆっていたのが、鬼わらいますた。オダギリがでたらめのことわざを言って、桜井がそれにひっかかる。オダギリ「ばーかめぇ!」と詰め寄る。桜井げらげら。この最後の桜井げらげらがすげぇよな。これは、「替え玉」というノートの書き込みでもくり返される。
 あとは、ダジャレかな。盛りのいい食堂で、おばちゃんに盛りのいいわけをきいていたら、テンポのいい掛け合いのあと「青梅出身だからおおめ」とカチンコチンおやぢぎゃぐ。犯人役ショムニ桜井「タコタコタコタコなんだかわからないでしょ」、オダギリ「うん☆タコだから」。「痛い」→「なにが言いたい」。随所にありまくり。最初に、カメ、ヤドカリ、ザリガニという生き物が寓話的に出てきて、熊本はカメをハンコに仕様としたりするところがあるんだけど、これも「意味わカメ」というダジャレだったんだろうか。こんなにダジャレが面白いなら、虎の門に投稿しようか。あごを突き出し、片手イナバウアーで、胸の前でユビで丸をつくって、荒川静香金メダル。でもって、両手を両股の前にもってきて、両手のユビで丸を作りふぐりすみえ、みたいな。
 次はトリックその他の意味と無意味、がちとネタ。「R]の逆が露西亜文字というのが、トリックの要諦で、それなりに意味ありげ。意味なしにこだわるわけじゃないと言いながら、やっぱり意味ねぇみたいなカンジ。真面目なシーンに突然現れるザリガニ。伏線かよとか、さすぺんすなまなざしをゲラゲラしまくる。動機は数学が苦手な氏んだ少女と、作文や国語が苦手な桜井の替え玉受験隠し。しかし、あちこちにほころびが・・・。しか〜し、必然性なんて理屈もわかってるお〜ってカンジで、少女がなぜ変質者の森に行ったのかというネタばれ。これが二人の埋めたタイムカプセルを掘り起こすためだったんだな。そして、コロされた少女は相手の幸せを祈っている。で、桜井はなんて書いたの、わくわく「またぞろけむたりい」&意味わかめな絵。がちまぢで国語が苦手なげーデルをべんきょうしたかった立身出世少女の狂気と真摯。ネタ系のマスコミ志望の少女の友情とおちゃらけ。そんな構図をもげらげらする「またぞろけむたりい」。
 なんやねんそれ・・・。おいおいとおもっていると、キターお約束カードタイム。「誰にも言いませんがカード」。え?と思ったら、三日月「が?」とメガネを渡す。シュタッとメガネをかけるオダギリ。ウルトラセブンかあんたは。「誰にも言いません、が・・・・国語をもっと勉強して下さい」。「結局けむたりいの意味はわかりませんですた」。マンダムだな。