浅野智彦編『検証・若者の変貌』

 未来日記である。本日はバレンタインデー。「もてない男」たちは、それを呪詛の念をこめて、「ニィ・テン・イチヨン」と呼ぶ(ホンマカイナ?)。今年もマグマのようなルサンチマンをたぎらせて、二次元に向かって「萌え〜」と絶叫している若造たちがいるのだろう。思えば、前の大学では、よくチョコが飛び交っていた。教師というのは、権力者なんだなぁとつくづく思ったりもした。若いイケメンな先生のなかには、チョコはここにとペーパーバックをドアノブにぶら下げていた人がいる。なかを見たらごっそりチョコが入っていて、「毒入り食べたら死ぬで」という紙片を入れて、あとでネタバレしようと思って研究室を訪問したら、えびす顔でチョコを食っていて、「グリコ森永真似したバカな愉快犯がいましたよ、はははは」と高笑いしやがった。また別の年に、ボクは、そのチョコ入れの袋をモチーフに、段ボールで郵便ポストのようなものを作り、投函するところに「義理」、「その他」と書いて部屋に置いておいたら、その他の方に何個か入っていた。WAO!と思って箱をあけたら、「同情」「人情」「乙彼」とか書いた安いチョコが入っていてトホホだった。

検証・若者の変貌―失われた10年の後に

検証・若者の変貌―失われた10年の後に

目次

まえがき
第一章 若者論の失われた十年
第二章 若者の音楽生活の現在
第三章 メディアと若者の今日的つきあい方
第四章 若者の友人関係はどうなっているか
第五章 若者のアイデンティティはどう変わったか
第六章 若者の道徳意識は衰退したのか
第七章 若者の現実
あとがき

 言うまでもなく、紙片も、郵便受けもネタである。んなことしねぇよ、いくらおれだってさ。まあ女子大の場合は、とっくに試験が終わっているし、四年は成績提出も終わり、おまけに今入試業務などがあって、会議が山積しているのである。よって、あまりチョコもへったくれもない雰囲気である。自慢する人もいない。さわやかである。昨日はスケートを最後まで見てしまい、ふらふらになって出勤した。そしたら、助手さんたちがニコニコしながら、「包みが届いてますよ」とおっしゃる。郵便受けを見ると、でかい包みがある。WAO!と思って近づくと、献本ですた。表情をどう取り繕うかなどと思いつつ、包みを開けましたところ、浅野智彦編『検証・若者の変貌』(勁草書房)だったので、チョコなんかの百倍WAO!だった。青少年研究会における共同研究の成果である。青少年研究会は、今は浅野智彦氏だけでなく、高橋勇悦、小川博司、藤村正之、富田英典・・・等々、多くの社会学者が参加して共同研究を行い成果を発表してきた。とかく、理論のあてはめや印象批評風のものが多かった80年代の若者論のなかで異彩を放ち、しっかりした調査方法論に基づいた手堅い研究をその当時から行ってきたグループである(これは辻泉氏の受け売りだけどw)。
 そんなグループの最新の成果である。携帯電話、友人関係などに関わる成果などがとりわけ顕著であったこの研究会であるが、これまでの成果を踏み台にしながら、友人関係だけではなく、音楽生活、メディア利用、自己意識、社会意識など、若者の生活諸領域を広く概観するものになっているのがひとつの特徴である。調査方法論は、より洗練され、また(イイ意味で)簡素化されている。そして、若者についての風評、「若者たたき」の評論的な言説に対して、「若者肯定的な可能性」を探るものになっている。携帯電話の時も、新しいメディアの登場によって人間関係がかわり、希薄な空疎なものになっているという言説が登場したわけだが、この研究会はそこに新しい可能性を読解するような調査結果を実証的に示している。さらに「空白の10年」を踏まえたあとの変容を、若者におもねるのではなく、社会学的に解明するという問題意識は貴重なものであるし、またそれに一定成功しているように思う。「若者を見る側の規準の取り方」によって、若者はネガティブに見える。そう表紙にある。編集側が、構築主義などにひっかけたキャッチコピーと思われるが、けっして羊頭狗肉ではない。
 北田暁大は、『限界の思考』のなかで、『サブカルチャー神話解体』に触れ、ルーマン理論の消化に基づいた宮台真司の議論を超える議論は、いまだに出ていないと言っている。浅野氏はもちろんのこと、ブログに詳細なコメントを書かれた辻大介氏をはじめ、様々なメンツにより、この点に答える続編が出るのではないかなどと期待してしまう。ゆくゆくは国際比較調査なども出てくるのであろうか。私は、団塊の世代の人口の多さがサブカルを生んだみたいなことを学会報告したら、人口社会学者でもある原俊彦が詳細なデータにより反駁された。ではなんなのか?大学進学率の急上昇、先進国の経済発展、公民権への注目、メディアの変容、左翼イデオロギーの隆盛・・・、あげればきりがないが、こうした論脈のなかで、「若者」の歴史を追う研究なども期待される。
 まあそんなとってつけたような「ぬるい」コメントをするくらいなら、素直にお礼を言うべきところだろう。四月からの調査実習のテキストはこれにしようと思う。調査結果の報告ということもあるわけだけど、用いられている調査方法などについて、丁寧なコラムがついている。実は私はこの研究会の成果を、従来より実習の教材としてきた。常識的な若者言説についての学問的批判。古典理論をも踏まえた問題設定と仮説の定立。その実証。先行研究のレビューとイシューの提示。卒論を書くための基本がここにあるとも言える。そんなこともあり携帯電話論で卒論を書く人は『みんなぼっちの世界』が出てから毎年いるのである。「希薄化説」「選択化説」をならべ、その上で若干の偏差を「修正選択化説」「修正希薄化説」のようなかたちで自説として提示し、それに名前をつけさせる。「○○○○説」。「君の名前をとって△△理論とか言ってもイイね」などとほめることもある。安直な学問ごっこなどというなかれ。そこからすべては始まるんじゃないだろうか。
 末尾に言い添えると、この研究会の宮台本合評会に招いていただき、書評を行った。そのときの模様を日記に書いた。また書評は都立大の院生紀要に載せていただいた。両方ともリンクをはっておく。