谷聖美『アメリカの大学』

 ミネルヴァからのもう一冊の本は、谷聖美『アメリカの大学−−ガバナンスから教育現場まで』である。ここをみている岡大の卒業生の人たちなら、一人残らず知っているあの谷先生の本である。学生時代に地域政治の分野で藤田賞を受賞され、修士修了早々に岡山大学に赴任された谷さんは、私が赴任した頃はまだまだそんなぴかぴかの若手であり、私といっしょに教員会議のお茶くみなどをされていた。机の上の消しゴム、定規の位置まで決まっている徹頭徹尾の合理主義者で、本書のあとがきにもあるように作田啓一先生などの影響も受けており、また思想の科学であるとかそういう類の問題関心を共有していて、高踏的でアカデミックな政治学に対して、身近な実践的な政治学を志向されていたように私には見うけられた。とはいえ、まったく情緒的なところがなく、また事実に埋もれることでごまかすようなことはせず、なんというか、何事においてもいきなりキンタマを狙いに行くような表現の大きさというか、研究者としての圧倒的な才気というか、そんなものを感じる人だった。ボクがお会いした頃は「ボクは語学だけはダメ」などと言いつつ、アナーバーのミシガン大学で一年仕事をされてからは、バリバリのアメリカ通にもなり、また選挙学会などでも活躍して、テレビや新聞に登場されることもたびたびだった。石川真澄さんの講演会を大学で聴くことができたのは谷さんのおかげである。
 谷さんからご著作をいただいたのは前に一度だけ、白鳥令編の政治学の著作に分担執筆された本だった。その本に書かれている論考は、方法論的な創造意欲にあふれたもので、学問に悩んでいた私にはなんとも言えない叱咤激励になっていた。「大学教師は孤独なんだ。人に期待しないこと。一人で仕事をして行くしかないよ」と助言されたことは、いまだに覚えている。今回も、なんらかのメッセージがあるはずだ、なんだろうと思った。何もないのに本をくれるような人ではないのだ。クールな合理主義者なんだから。目次を見た。そして本文をめくってみた。

アメリカの大学―ガヴァナンスから教育現場まで

アメリカの大学―ガヴァナンスから教育現場まで

目次

はじめに
1 アメリカの大学、その概要
2 大学の組織と財政
3 教員組織と人事システム、および教育の職務
4 学生選抜と財政支援
5 学士教育
補 学部段階における法学教育及びロースクール進学特別コース

帯にもあるように、この本の問題提起は明解である。日本の大学改革について論じる時にとかく「アメリカの大学では」と言われる。大学だけじゃない。経済も、政治も、なにもかもそうだ。情報通な人々が、実体験などに基づき、そんな言い回しをする。ホンマカイナというのが、谷さんの問題提起だ。「実情」というのはほんとうなのか?アメリカの大学関係者に聞き取りをし、厖大な資料を集め、卓抜した整理力で整理を行い、そして渾身の力を込めて、キンタマ狙いに行っているというカンジ。しかも、搦め手なんかをねらうような姑息なことをせず、天下の京大法学部だぞオレは、しかも東大の入試がなかった時だぞ、ごるぁああと、本丸のキンタマをグワシッとつかみに行く。そして本当に「お手本」なのかと、諄々と説く。インフォーマルな制度や慣行などにも踏み込んで、「お手本」という常識を崩しにかかっている。鮮やかな論旨だ。文章にも速度感がありかっこいい。カラオケで武田節が十八番(おはこ)なオサーンとは誰も思わないだろう。
 ペラペラめくってみると、リベラルアーツということばが随所に出てくることに気がついた。そして、専門職業教育との関連などについて、執拗に論じられている。岡山大学で教養部が解体されたあと法学部に配置換えになり法学部長まで勤められた谷さんが、私みたいに教養部に感傷的な気持ちになっているなどということは考えられない。っていうか、そんな性分じゃないだろう。むしろリベラルアーツの重要性について、現実的に、批判的に、クールに描いていると言った方がよい。おりしも勤務校ではリベラルアーツと専門教育などとの関連が問題になっている。読んで勉強しろというメッセージなのかなと拝察した。心からお礼申し上げたい。
 しかし、もうじきバレンタインデーだ。谷さんは、私の研究室の隣の研究室で、すげぇ背が高かったし、非常に女子学生に人気があった。「行列のできる研究室」のひとつである。うちの研究室は、電車男電車女のたまり場で、とある学生はひまわりと隠花植物に喩えた。呑むさんと同じ月見草ですらないのだという。わはははは。だんだんむかついてきたぞ。まあともかくモテモテだった。ただ、谷さんはさわやかな人だし、子煩悩な家庭人であり、言っちゃ悪いが人畜無害なのである。そして、学内誌に「民主主義は玄関まで」などという原稿を書く人で、家事能力、育児能力を、おーじまんしていたくらいで、家事育児の不自由な教員たちはチェッと舌打ちをしていた。私も、オサーン話大きすぎるぜなどと思っていたのだが、ある時お子さんが休日大学に来て、ちびっ子でなかなかの愛きょうもんだったのだが、お父さんがいなくなると泣き出して大変だった。そのガキんちょが「ボクはお父さんから生まれた」といって谷さんにしがみついていた。こいつは認めないわけにはいかないなぁと脱帽した。懐かしい思い出だ。