厚東洋輔『モダニティの社会学』

 採点の済んだ期末試験答案成績を提出用の用紙に転写し、授業絡みの本年度の仕事をほぼ終了した。帰宅してボーっとしていたら、佐川急便が来た。なにかと思ったら、ミネルヴァ書房から二冊の本が届く。私も書かせてもらっている鈴木広編『現代社会を解読する』がまた再版されたのかと思った。生まれて初めて商業出版に書かせていただいたものだ。編集者が「教科書というものは20年以上出続けるようなものでなくては」とおっしゃっていたのを思い出す。もうじき20年がたとうとしている。そんなことを思いながら包みを開けたら、一冊は厚東洋輔先生の『モダニティの社会学』であった。
 放送大学のテキスト『近代性の社会学』を全面改訂し、書き下ろしたもので、現代社会論、社会変動論、マクロ社会学といった領域での理論的コミットメントと貢献をめざし、かつテキストとしての魅力を同時に追求したものである。本の冒頭には、「議論の仕方はsimple is beautiful。これが私の信じる理論的思考の神髄である」とある。さまざまな学派、業界のジャーゴンは簡明な用語系に置き換えられ、思考がすすめられる。用語系の核となっているのは、「モダニティ」である。ポスモダもグローバリゼーションも「モダニティの変容」として読み解かれ、「ハイブリッドモダン」の具体的全体像が吟味される。変わり雛のように繰り出される奇天烈な社会像の意匠、思想像の意匠について、「モダニティ」という観点から、激辛の達意な論及がさり気なくされているところはたじろぐものがある。個人的な学問関心からは、近代の両義性に着目したマクロ社会学の著作として、またハイブリディティやパスティッシュに照準したモダニティ論として、大変興味深いものがあった。また、社会学史、現代社会論、社会学概論などのテキストとしていずれ使ってみたいと思っている。

目次

第Ⅰ部 ポストモダニゼーションとグローバリゼーション
 第1章 ポストモダン論の興隆と東西図式の終焉
 第2章 グローバリゼーション論の出現と南北図式の同様
 第3章 モダンの移転とハイブリッドモダン
第Ⅱ部 モダニティの構造
 第4章 ナショナリズムの光と影
 第5章 職業本意と家族本意
 第6章 自立と連帯
 第7章 科学の創造と受容
 第8章 読書と会話
 第9章 禁欲と欲望解放
第Ⅲ部 モダニティとグローバリゼーション
 第10章 グローバリゼーションとは何か
 第11章 国民国家の萌芽型と完成型
 第12章 福祉国家ローカリゼーション
 第13章 環境問題とモダニティ
 第14章 モダニティ変容のメカニズム
 文献案内
 索引

 碩学の単著をもらえるなんて、それもつくったネタか?などとおっしゃるむきもあろう。ネタではない。ガチでもらいますた。ほんとうに恐縮していまして、お礼のことばもありません。なぜ存じ上げているのか?それはまだ20代のころ、修士論文「反省と想像力」を書いてから、『ミルズ大衆論の方法とスタイル』を書くまで、私の仕事の鍵概念は「反省と想像力」だったのです。ミルズをやっていれば当然ですが、ともかくこの二つのことばの出てくるものはすべて入手するという気合いで学問をしていました。でもって、大阪大学の紀要に厚東先生の書かれた想像力論を発見し、再三味読していたのです。院生時代から論文を書くと、関連しそうな研究者には面識があろうとなかろうと論文を送りつけていました。今考えるとぶしつけだとも思いますが、若い頃のエネルギーというものはすごかったなぁとも思います。で、厚東氏にも論文を送ったのです。ハガキをいただき、「もう少しコクを出すには・・・」と書いてあった一言が強い印象に残りました。以来「コク」は、論文を書いたり、査読をしたりする場合に、重要な手がかりとなることばとなっています。
 厚東先生が当時書かれていた『社会認識と想像力』に結実する論考は、非常に端正で、リリックに歌舞くというところがない。唐文脈なヒロマチアン、和文脈なマキストといった、歌舞伎まくり文献を「萌え〜」と呻きながら読んでいた院生にはいささかもの足りないものだったのですが、この「コク」ということばにより、読解の手がかりを得たような気になり、読み直してみると読みごたえのあるものだということが遅ればせながらわかり、耽読してゆくことになります。知識的にも、博覧強記爆発だといわんばかりのパフォーマンスとは無縁な行論で、マルクス研究でいえばコルニュよりむしろマクレランがすごいじゃないというふうなムキは、超はまると思う。とかくありがちな、理解できたことのうれしさ、知っていることのうれしさ、書けたことのうれしさなど、自分にとって甘美な自己確認をまぬけヅラで反芻し、自分を甘やかすようなマスターベーションのような、拙劣なまでに自己模倣的なぬるい読書をするのでなく、さまざまな読みのポイントを持ち、自在に変幻しながら、読みを批判的に流動化していくことを学んだような気がします。ありがとうございました。