将棋囲碁の本に学ぶ

 来年度社会学概論を担当する順番の年だ。何年に一度かまわってくる。担当するたびに考えることは、とりわけ総論部をどうやるかということである。社会学的思考の公式、手筋のようなものをどう整理するか、それをパターン習得に終るのではなく、社会学的思考の体力をつけるような読書にいざなうにはどうするかということを考える。一つの手がかりになると思うのは、受験参考書である。この分野は、国民的なエネルギーが傾注されてきた日本人のホンネであることは、誰しも否定できない。膨大な金が投入され、激しい競争が行われ、名教師、名著は枚挙に暇がない。洗練された方法の蓄積がある。クビ大が絶望的に語られたときに、もしかすると予備校が大きな位置を占めるかもしれないことは一つの可能性かもしれないと、とあるやめた人から聞いたことがある。
 浅田彰はチャート式といったわけだけど、当時はそれくらいしかなかったからであり、今はもっとたくさんあるわけだから、いろいろ活用できるノウハウはあるだろう。受験史みたいな観点から、教材の歴史、ノウハウの歴史を整理した本がないか探しているけど、とりすました教案の歴史などがあるほかは、○○方式や法則化の意匠が競いあっているだけであり、教師のためのチャート式はいまだに御目にかかっていない。たまに予備校の先生がそれらしき本をまとめているけど、新書などを書くとなると、妙に構えて読みにくい本になっていたりする。
 もう一つの手がかりは囲碁将棋の本だ。これも同じことだけど、受験のためというような実用一本ではなく、それなりの道や、スタイルや、思想などを説いているところがある。新趣向の本があると必ず買って読む。最近武宮正樹九段の本を買って、新年熟読した。考え方の枠組みがザックリと四つに分かれ、総論をさらっと書いたあとに各論が問題形式でまとめられている。社会学の本も、事例をカードに5000とか書き出し、取捨選択してよりぬきの和文英訳の修行における500の暗記例文みたいなものが作れればいいのだが、そうもいかない。しかもいい事例を見つけたと思って授業で話しても、笑って終わりで、さらに事例=雑談が多いとか文句を言われるという悪循環。これができるやつほど多い。しかし、本当のところは、ごしごし原典を読み、ねちこく議論するという泥仕合の職人修行のなかでしか見つからないのかもしれない。希望は、職人修行は型と間の修行であると言うことだ。ミルズの知的職人論というものを、じっくり考え直す一年にしてみたいと想う。