間々田孝夫『消費社会のゆくえ』

 今日は、tyadon 氏らの社会の理論研究会に出席することになっていて、昼前に散髪に行き家を出ようとして郵便受けをみたら、間々田孝夫氏から『消費社会のゆくえ』が届いていた。昨日の野村一夫氏といい、袖ふれあうも・・・な私日本を送っていただき、恐縮するばかりである。言うまでもなく、間々田孝夫氏は、行為理論、経済社会学、調査方法論などの領域で多数の研究成果を発表されてきており、階級階層論、消費社会論についての本格的な研究成果は定評がある。消費社会論の第一人者といってもいい存在であろう。評論的な消費論などを卒論に引用すると怒るようなアカデミック志向な指導教員のゼミで卒論を書いている人も、本書を引用すればそういう理由で怒られる心配はないと思う。他方、社会学の調査研究、理論研究の生硬さには辟易するなどという人も、本書の随所にあらわれている観察眼や洞察力には萌えると思う。

消費社会のゆくえ―記号消費と脱物質主義

消費社会のゆくえ―記号消費と脱物質主義

内容

ニーズの多様化が言われる一方,画一的な定番商品が大ヒットするなど,消費をめぐる現状は混沌として捉えがたい。社会学の立場から消費社会の研究を進めてきた著者が,「記号的消費から脱物質主義へ」をキーワードとして,この消費社会の現在と未来を読み解く。

目次

第1部 20世紀消費社会論の射程
 序 20世紀消費社会論が主張したこと
 1章 「記号的消費」とは何だったのか
 2章 多様化と個性化の神話
 3章 プロシューマーの夢と現実
 4章 「ゆとり」消費考
 5章 高度社会的消費のすすめ
 6章 「文化の時代」のてんまつ
 7章 もう一つの情報社会
 8章 価格の低下と駄菓子屋消費文化
 9章 20世紀消費社会論の限界
第2部 消費社会と脱物質主義
 序 モノの限界と消費社会
 10章 ウサギ小屋を好む?!日本人
 11章 フロンティアとしての「食」
 12章 意のままにならぬ「衣」
 13章 日本型余暇文化の可能性
 14章 二つの自然志向と消費社会
 15章 モノ離れする身体
 16章 モノとこころの不協和音
 17章 脱物質主義と消費社会のゆくえ

 消費の倫理が問い直されている今日において、−−利いた風なことをいえば−−まさに真打ち登場というカンジだと思う。もっともずいぶん前に書いた連載記事が本書のもとになっているわけで、「緊急出版」などというものではない。不況で個人消費が落ち込み、消費社会論もへったくれもないとか、99としているなどとくだらないダジャレでがははははな時代、論壇をおだやかにながめながら、消費社会論の本を書き、「私は消費社会論に強い関心をもってはいるが、その激しい移り変わりの渦中にはいない。この立場を生かして、今後とも、激流に呑み込まれることなく、適当な距離を保ちつつ、じっくり消費社会を見守っていきたいと思う」と結んでいる勁さには、感銘を覚えた。ゆっくり、まったり、ちょいロハなどと矢継ぎ早に意匠を競う研究は、凶暴に消費されてしまうかもしれない。しかし、本書は学問のあるべき姿を提起しているように感じられた。
 今日いただいたばかりで、研究会からさっきから帰ったばかりで、まだめくっただけのことであるけれども、資本主義と文化という問題についての重厚な研究と理解を前提にした行論は、ボードリアールやベルをはじめとする消費社会論、文化論に論争的な争点を辛辣に示しつつ、「消費社会のゆくえ」をみつめているようにみえた。別海町を訪れたエピソードなどが挿入されている。こうした観察は、本書の特徴の一つだろう。「こんな風に授業をやってみたら」という観点から読んでも面白い本だと思う。ありがとうございました。