社会の理論研究会

 女子大で社会の理論研究会があったので行った。恩師の1人である濱谷正晴氏の『原爆体験』の出版記念パーティとバッティングしたが、先約のこちらを優先した。濱谷氏への祝福ということでいえば、前にブログに書いたように母校の院生自治会、科学者会議が主催する新歓の講演会を聴きに行ったわけで、濱谷氏のひととなりを考えると、公のパーティよりも手作りの講演会を学外者飛び入りで聴きに行く方が氏への祝福として、そして自分の祝福の仕方として、ふさわしいと思った。そう言えば、濱谷氏が教授になったとき、門下の学生、卒業生たちがお祝いの会をした時のことを思い出した。私は、岡山で行けなかった。で、電報だか手紙だかを幹事に送った。濱谷氏は、「先生じゃなくさんと呼べ」みたいな人だった、なのに「濱谷さん、本日から濱谷教授とお呼びできるのですね・・・」というような文面を送った。石田忠先生は「しょうがねぇ椰子だ」みたいに笑っていて、学生たちは「教授コール」とかしたらしい。そんなわけで、今回も祝電を送り、「イヨッ!岩波知識人。憎い憎い」とか書こうかと思ったが、内輪のお祝いの会じゃないし、やめておいた。しかし、「ゴム長が日本一似合う男」などと言ったり、われわれはしょーもねぇ院生だったよなぁ。w
 で、社会の理論研究会。一本目の報告は、インドネシアハンセン病調査報告であったはずが、急遽変更で日本のハンセン病療養所におけるバンド活動の調査。「マイナリティのマイナリティ」という視点や、文化活動を詳細に調査した結果の分析は刺激的だった。昨年草津の療養所に行き私がやりたいと痛切に思ったのはこういう研究なんじゃないかと思った。しかも対象は岡山の療養所である。松田素二直伝と思われる、ソフトな抵抗論なども垣間見られた気がする。「異化しないこと」ということばががっつり胃の腑に残ったカンジ。
 もう一本は、tyadon 氏の報告。We 、三人称、客観などの創発をめぐる決着の意匠をなで切りにし、そこに形式の法則とは違う、数学的な形式の説明をしようとする試行の社会学的提示なんだろうなぁ・・・と思ったが、論証が緻密過ぎて追い切れなかったところもある。構築主義の様々などと対比されながら、実証研究へのコミットメントという議論がもりあがった。・・・のかなぁ。w 
 そして宴会。みんなすげぇ人たちで、人見知りする間もなく、話題炸裂で非常に楽しいものがあった。