野村一夫『未熟者の天下』

 家に帰ったら野村一夫氏から『未熟者の天下』が届いていた。「今どきの若い者」を見下し、叱りつける本がいろいろでて、それぞれの意匠を競い、新奇な論壇での立ち位置を模索しながら、デフォルメをきかせて論じているなかで、「大人になること」「未熟なこと」の基本的な知見をわかりやすく丁寧に親切に語っている。いろいろなことの基本が、大人と未熟という鍵語のもとに語られている。論壇的新奇さを求める人が読むと、いろいろな意見が出るのかもしれないが、私の教えている学生たちが読んだら、エッジのたったどうだと言わんばかりの本よりも、この本の丁寧さに惹かれるのではないかと思う。私はこの著者の『社会学の作法−−初級編』という本をかなり気に入っていて、とても重宝しているし、それがソキウスというウェブサイトの魅力にもつながっているし、そしてその延長線上に理解すれば、この本の作品性というものも見えてくるように思った。
 いろいろ説明しようとして、情報密度が濃すぎるというか、端的に言えば「詰めこみすぎ」なことが若干気にならないではなかった。まあしかし、それは人のことは言えない。舌足らずに痙攣したどうしようもなくスティグマな私の語りと比べれば、おだやかに優しく丁寧にかたる野村さんは、きっと学生たちから信頼されていると思う。そして、三浦展氏の諸著作とはまた違うかたちで、「大人の消費」というところに照準されていることは、やはり重要で、この問題を毒づかずに説く人は今日かなり貴重なのではないかということだけは確かだろう。

 それを前提にした上での話だが、私はそんなに大人にこだわる必要があるのかねと思っていることは、正直に言っておきたい。父兄参観で「お客さんがきたらどうしますか?」ときかれ、「は〜い!」「ハイ伊奈くん」「ちゃんとする!」で笑いをとることお覚え、自己模倣を際限なくりかえしてきたにすぎないような私には、「大人」は苦手だ。「大人の味」というと、ネスカフェか、うなぎぱいかとイチビリかましたくなる。手抜き工事をして、利益を上げる割り切りをすることだって、「大人になる」ことになるかもしれない。それを批判するのは「青臭い」といわれる場所だっていろいろある。それよりは、仏教大学の大学歌じゃないけど、だまされて気づいたこととおなじ手口でだましたくないし、役者バカ藤岡弘バカ役者たこ八郎というのも、非常にツボだ。狭い範囲のことにも無限の宇宙がある。それに習熟することで、いろいろなことが見えてくる。そういう職人だったうちのぢいさまをますますすげぇと思ったりしている。職人バカ道場六三郎バカ職人北野菊次郎。いいじゃねぇか。しかし、職人のぢぢいがすげぇとか美化するオレは、たけしには遠く及ばないよなぁと近著のたけしの職人論を読んで思ったけど、これからはやっぱしょくにんの時代じゃね?などとケチをつけてやろうと思い思い読み始めたが、野村さんの本というのは妙に包容力があって、容易に足払いがかけられないと思った。そして、職人じゃね?みたいな物言いが貧しいものに思えてくる。野村一夫は、不思議な人だ。(忙しいので、小学生の作文みたいな終わり方になってしまいますた。すみませそ。そして野村さんありがとうございました)。