激辛キムチ

 岡山時代はぼくでん、マンボ、木の実、大幸、南大門など、コリアン料理屋さんや焼き肉屋さんに行く機会が多く様々なキムチを食べた。私は当時はまだ辛いものが好きで、ムルキムチなどのような味わい深いものよりは、白菜キムチに、さらにとんがらしもらってぶっかけて、まぶしたようにして、飯にのせて食べられれば焼き肉なんかはいらねぇよってカンジで、添え物として「混合」という各種肉切り落とし(カルビ、ロースから、せんまい、ミノ、ホルモンまでなんでも入っているやつ)一人前たのんで食ったりしていたんだけど、次第に辛いものがなぜか辛くなり、また給料もあがったので、よいお肉をちょっとだけいただくみたいに堕落してしまった。とまあこれは話の枕で、これからが本題で、書くかどうか迷ったけど、やっぱり迷いに迷い面白いので書いてしまう。なにかというと、東京のある街のあるお店で「寄生虫もビックリ激辛キムチ」という立て札みたいなのが、キムチの横にでていたんだね。思わず産地も書いてないかと思ってみたが、さすがにそれはなかった。チンチンメンでおなじみの横浜三陽「毛沢東もビックリ」を思わず思い出した。あまりにブラックというか、まぢやべーっていうか、なに考えてるのかわけわかめだったが、歩きながら笑いが止まらなかった。携帯で写真を撮ると、「ちょっとにいさん」とかゆわれそうなところだったので、自粛。しかし、たしかに激辛でめっちゃ美味そうなキムチだった。
 本日は午後は卒論の相談にずっと費やした。目立ったところでは、恐怖の感情規則を分析するという卒論。八百万の神への恐怖から人への恐怖へという仮説は、「人への恐怖」というアイディア一発というカンジでいかにも線が細いと思っていたのだけれども、話しているうちにデュルケムの儀式論とゴフマンの儀礼論を対比した奥村隆氏の整理を下敷きにしていて、排除の構造の変化を恐怖の感情規則の変化としてとらえようとするフレームワークがあることがわかり、よく考えてみないとわからないし、理論展開ができるかどうか、そして結果としてどんなものができあがるかわからないけど、理論構成としてはまあまあいけているんじゃないかということになった。話し込んでしまい、重要な会議に遅れ、さらに夜の出版企画会議に遅刻してしまった。すみませそ。