下川裕治『香田証生さんはなぜ殺されたのか』

 昨年の夏草津にあるハンセン氏病の療養所を、女子大のスタッフ3名と大学院生1名、学部生20名あまりと、女子大OGのかた1名、他大学大学院生1名で訪れた。他大の院生の人は、この問題を調査研究されている方である。療養所内を散策して、いろいろな話を職員の方にうかがった。そのときにこの院生氏が「無理矢理連れてこられたんですよ。どう思います」と唐突に問われた。今どきの若者らしいへなちょこな問いかけであったが、有無を言わさない迫力があった。ずいぶんべたな質問をする人だなぁと思ったが、もじもじ考えながら結局水俣病と関わることをやめた人間としては、正直まっすぐさが眩しかった。下川裕治氏の話題の著作を読んだ。あとがきに、ある戦場カメラマンのことばが引用されている。読んで真っ先に思い出したのは、草津で問われたことである。

 「好奇心をダイレクトに発する青年でね。目的のために一直線に進んで行くタイプだった。正直、俺はこいつに食われるって思いましたね。うかうかしていると、こういう若者に先を越されてしまうっていう危機感・・・。なにしろ奴には雑念がないんですから」。

 下川裕治が、香田証生さんの軌跡を描く。ふさわしいことであると思われた。旅ばかりしてきて、書き手としてゆるぎない場所を旅に見いだした下川は、旅先で「ニート」「自分探し」などのことばで括られるべたな若者たちと出会い、語り合ってきた人である。若者たちとかつての自分を重ね、つよい共感を持って眺めている。そして、福岡、ニュージーランド、香港、イスラエル、バクダットという香田さんの辿った道を取材し、本にまとめた。両親は「そっとしておいて欲しい」と言い、綴られた内容にもたくさんの異論があるようだ。下川はそれを前提にして、福岡での取材拒否をモチーフにしながら、論を進めている。そして、下川は自分をむき出しにして、旅の楽しさをワクワクしながら書いている感じで、誤解を恐れずに言えば、筆致は実にポップである。随所に差し挟まれている写真も、旅行嫌いの私にも「旅してちょ」と誘いかけるがごとくである。そして、それを香田さんの軌跡に重ねてゆく。香田さんの自分探しを、猿岩石まがいの矮小な無責任というような言説に−−そうしないといてもたってもいられないとでもいうかのようにムキになって−−回収してしまうのではなく、小田実のラインでとらえようとしている。

香田証生さんはなぜ殺されたのか

香田証生さんはなぜ殺されたのか

 ワクワクする旅の楽しさは、かたくなな自分探しを内破してゆく。そして、したたかさや、アイロニーや、なにやかやという−−下川のことばで言えば−−「歩行術」がしだいに身について行く。そしてイスラム世界の楽しさ、それが与える癒しというものなどを追体験して行く。それを描くことで、判断を読み手にゆだねている。書き方はめっちゃ上手いと思った。一つだけ、あとがきの文章をひいておく。「だから旅はやめられない」。明解なメッセージの文章だ。

 いつから日本の若者は、こんなに真面目な性格を身にまとってしまったのだろうか・・・・・。アンマンの路地裏のどこかいかがわしげな酒場で、ヨルダンのビールを飲みながら考えてみる。ヨルダンはイスラム社会だが、ひと目をはばかるような飲み屋が何軒もある。日が落ちる頃になると、男たちがぽつり、ぽつりと集まってくる。いまのヨルダンも携帯電話ブームで、隣にいた男たちはそれぞれの機械を肴にジンを飲んでいた。一人の電話がなり、その着信音がコーランの詠唱になっているのには、つい苦笑いしてしまう。そんな店だった。

 自在にものを書く下川の筆致がうらやましかった。けっこうチャラけた文章ばかり書いているカンジでいたのだが、やはり自分のやってきたこと、これからできることは社会学なんだろうなぁと漠然と思った。