『限界の思考』

 ほんとうは原稿を書かなきゃいけないんだけど、どうにも筆を入れる勇気がわかず、ウツウツとしながら、毎日書店に通い、「でたー!」という日に『限界の思考』を買った。かつての吉本隆明鶴見俊輔のセメントバウトや、その観戦記とも言える海老坂武の論考などを思い浮かべながら、ペラペラめくりはじめ何日かがたった。宮台真司北田暁大の対談は、そういうのとはまた違い、ボコるにはボコっているわけだけど、なんかお互いを触媒みたいにしながら、語りが続いているようにも見えて面白かった。すみずみまで探したワケじゃないけれども、欠落したものとして、モラリズムというようなことばがなんとなく思い浮かんだ。宮台真司が理論的なことをいろいろ語ったのは、北田暁大の功績だろう。・・・みたいなことを全国津々浦々若い読者は競って語り合ったりしているのかなぁ。で、知っているかぎりの知識ぶちまけあって、「お前見たいのをタゴサクとゆうんだ!」「おまえこそ!」などとやりあっていたら笑える。などと思うのは、どっか心当たりがあるからだろう。

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

 そんな格好をつけずに、心底面白いと思ったことを書いておきたい。それは、獰猛な論理マシン宮台真司と、どこか伏し目がちな水道橋博士の子どもみたいなカンジの北田暁大の相貌をとらえた写真がなかなか面白かったみたいなことじゃない。二人が饒舌にいろんな先生のことだとか、学問の歩みをいろいろ語っていることが、私には一番面白かった。廣松渉見田宗介上野千鶴子などいろいろな先生たちの話が出てくるし、読書体験なども語られている。浅羽道明の宮台批判の顛末なども書かれている。「ベタ」をめぐっていろいろ出されている整理軸、恐ろしいまでに博引旁証されている知識などがいやおうなく歓喜する知的刺激感などよりも、どーでもいいことばかりが面白く思われた。というのは真っ赤なウソで、222-223ページで「機能主義の意地悪さ」について語られていることだとか、随所で英米系の哲学云々について語られていることなどは、ちょっと不遜な言い方に聞こえるかもしれないけど、共感するところ大であった。
 ちょっとだけ役に立ちそうなことを言っておく。一箇所だけ、278ページに書いてあるアリカワの経歴だけど、ちょっとボクの記憶と違う。もう一つは、この前の学会の降臨部会に出ていた人、報告した人は、くそぉ宮台漏れをボコリやがって本なんか買うもんかみたいな人もこの本の真ん中三分の一くらいは熟読しておいた方がいいと思う。社会学の入門書というと、なぜか「この手」の色彩が強くなる。その責任は、出版社にもあるとは思うのだけれども、もっと重要だと思うのは、家族、地域、産業労働などの医学で言えば内科外科的な分野の先生たちが、若い人たちが萌えるような本をガンガン出す必要があるんじゃないかと思う。
 それにしても「限界の思考」とはかっこいい題名の本だと思う。本屋さんで、大学生とおぼしきあんちゃんが、背表紙を見て萌えていた。うちのゼミの学生は、題名がかっこいいと思った椰子でも、たぶんとりあえず写真だとか、カバーの色彩からコメントはじめるんじゃないかと思う。