テンプレート

 岡山と東京とたくさんいる教え子のなかにいる女性のなかで、とてもまじめな努力家の人がいます。その人はこつこつ努力して大学に入れたことと、もう一つ高校時代の部活でいっしょだった人と交際していたことと、この二つが自信のよりどころとなっていました。学生たちの恋愛談義を聞かされることがよくあるのですが、この人の話はよくコンパの話題となっていました。よく勉強していたためかこの人には交際相手がそのときはいませんでした。でも、その人は夢を持っていました。それは、努力して試験に受かってイイ職場に入り、そこでカレシをみつけるということだったのです。
 なんという短絡と思ったものの、この人にはせつないまでに二つしか「勝利の方程式」がなく、それによって恋愛もするしかなかったということなんですね。ある表現を作文の授業でほめられていい気になって何度もその表現を使い馬鹿にされるガキみたいなもんだなどとからかいつつも、いろんな方程式を駆使しまくりの椰子らに比べれば、二つの方程式を駆使して恋愛を語るその椰子の語りは、なかなか涙もんだなぁと思ったりもするのでした。マスターのころ無駄な時間はすべて切り捨てて勉強だけをやっていたころなどを思い出し、懐かしくもありました。
 この方程式がこの人の恋愛理解の型紙であるとすると、この人は非常に素朴なテンプレートで恋愛を語っていたことになります。前に、コピーとオリジナルのく別が曖昧になった時代におけるレポートパクリ問題について議論があった時に、ちゃありぃさんが使っているテンプレ論を展開されていて、興味深かったのですけれども、そのとき思い出したのがこの「勝利の方程式」論です。そして、テンプレートとはしゃれてて、かっこのいい表現だなぁと思っておりました。そうしたら、テンプレート論が出てしまったわけであります。畑村洋太郎氏の本です。

畑村式「わかる」技術 (講談社現代新書)

畑村式「わかる」技術 (講談社現代新書)

なぜ「わからない」のか、どうすれば「わかる」のか。『失敗学』『直観でわかる数学』の著者によるまったく新しい知的生産の技術。
第1章 「わかる」とは何か(「わかる」とはどういうことか;『直観でわかる数学』を書いた理由;学校の教科書や授業はなぜわかりにくいのか ほか)
第2章 自分の活動の中に「わかる」を取り込む(まず身につけておくべきもの;「わからない」けどつくりだす;自分でテンプレートをつくる)
第3章 「わかる」の積極的活用(「面白い話」をする人は何がどうちがうのか;絵を描くことの意味;「現地・現物・現人」が、わかるための基本 ほか)

 紀伊國屋のサイトから引用しておきました。この手の本は必ず買って読みます。テンプレートづくりのためのヒントが満載されていて、授業をしたり、文章を書いたりということから、学生さんが答案やゼミ報告などでなにかを表現するということ、あるいは人間関係のことまで、刺激的な思考を楽しむことができます。『教養としての大学受験国語』なんてものも、一種のテンプレ論なんだなぁとも思いました。
 1から10までを足す計算については、がきのころのガウスのエピソードがあまりにも有名ですが、数列の公式を洞察してできたというのではなく、畑村氏は俵積みを思い浮かべ、直感的に暗算したみたいなエピソードは、ほぇ〜〜と感心しました。その思考過程を図解して、なるほどぉ〜と思わせるところは、非常に技術論としてはまじやべーと思ったわけですけど、まあ言ってみればこれは『直感でわかる原論』みたいな位置づけであり、自分でテンプレ訓練をするのは問題集みたいなのをつくってクンないかなぁなどと思いました。あと、まじめな努力家のために『直感でわかる恋愛』とか。w しかし、率直に言って最後の畑村式手帳術みたいなのは、イマイチわかりませんですた。それは私が手帳をつけたことのない人間だからかもしれません。
 いろんな人がこういう工夫をしてゆくことは、私は大事だと思っています。声を出して読むとか、法則化だとか、百マスだとか、和田秀樹方式とか、いろいろゆう人はいるけど、かなり馬路にこういう努力を重ねることをやっていかないとやべーかもって思うわけです。畑村先生には次は是非『畑村式「ちゃんとする」技術』みたいなのを書いて欲しいです。ダメなボクとしては。