- 作者: 上村一夫
- 出版社/メーカー: 中央公論社
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- 作者: 上村一夫
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上村の死は、私に終熄の<熄>という文字を想わせる。<熄>の本来の意味は埋火(うずめび)である。埋火とは、灰の中に深く埋められていても燃え続けようと密かに身悶えする火である。そして鮮やかな炎をあげることなく、いつしか灰の中で息をひきとる火である。だから<熄>は転化して、火が消える、亡びるの意となり、更に転じて、平穏無事になる。私たちは、上村はほどなく死ぬだろうとずいぶん前から思っていた。思った通りに死んで私たちは用意していた黒い服を着、木枯らしの中を斎場へ急ぎ、一見人の良さそうな、しかしよく見ると人を小馬鹿にしたような笑いを浮かべた黒枠の写真の前に立ち、そして目を上げると上村自身はひょいと身を翻して<平穏無事>になっていたのだった。
冒頭の一文で、つきあいのほどが想像される。上村が、「劇画家」と言われると「漫画家」と訂正し、「画家」と言われると「絵師」と必ず訂正したなどという逸話も、この文から知った。そして、「漫画」とはよいことばだなと思った。北斎とお栄の話を描いた『狂人関係』に一文を寄せた久世は、上村を「風狂」ということばと関わらせている。そして、『怨獄紅』『乱華抄』『密漁記』『男と女の部屋』『修羅雪姫』『しなの川』などの、「初期から昭和四十年代までの作品が好きだった」と言い添えている。それ以降の『同棲時代』や『関東平野』は「私にはどうでもよかった」と言いつつ、『凍鶴』の可憐さや『狂人関係』の風狂が萌えと久世は言う。
風狂の人・上村一夫は<この世の終わり>を見てしまったのだろうか。見てしまって素知らぬ顔をしていたのだろうか。ここ数年の仕事はつまらなかった。いかにも見てしまった後の虚ろな目で描いていた。会っても抱負を語ることがなかった。夢をつぶやくことがなかった。そこに彼がいること自体がすでに夢のように朧になっていた。朧に煙って酔っていた。
私が耽読した「ここ数年の仕事」である『ユートピア』や『帯の男』や『一葉裏日記』や『ヘイマスター』などは「どうでもいい」となってしまう理由を、いろいろ考えた。私は、80年代の輪郭のくっきりした絵が見やすいと思っていた。そして、初期の作品のどう見ても一時代前の絵柄はなんともにんともと思っていた。絵の乱舞、躍動、華麗さみたいなことで言えば、70年代後半がいいと思う。しかし、久世にも、そして上村にもそんな考証的なぎろんは「どうでもいい」のだろう。久世は自分の作品のビデオなどとっておらず、また上村は単行本など保存する気持もなかったのだという。追悼文を書くにあたり久世は考証めいたことをはじめようかと思ったらしいが、「やっぱりやめた、花は朧のままでいい」などと言っている。
そして『蛍子』は、まさに「朧」の極めつけのような作品として、この文のなかで言及されている。
上村が週刊誌に連載した作品でたったひとつだけ単行本にならなかったものがある。ちょうど十年前、昭和五十一年秋から五十回連続の「蛍子」(『週刊女性』)である。私と上村の共作である。あまり筋らしいものはなかった。蛍子という娘と、狂った母を持つかおりちゃんという六歳の女の子の不思議な交遊と身辺雑記のようなもので、確かに面白くもおかしくもなかったが、絵にしにくい私の繰り言を上村は苦労して毎週きれいにまとめてくれた。これがうまく行ったら夢二とお葉の話をやろうと言っていたが、「蛍子」が本にならなかったことで何となく二人とも萎えてしまい、この話は立ち消えになってしまった。今はそれでよかったと思っている。当代の人気作家が、どこの出版社に持ち込んでも売れなかった作品の片棒をかついでいたかと思うと、妙に嬉しくなって笑ってしまう。誰に訊いても首をかしげて知らないと言う。そんな朧月夜みたいな作品が上村一夫にもあったのである。
この文章には、「ドラマに出ないかというと、いつも軽率にのこのことでてきた」ことなども書かれている。『寺内貫太郎一家』などに上村が出ていたというのは、久世の著作ではじめて知った。『時間ですよ』で話題になったオハコの飲み屋の場面の客の役。まあこんな人がテレビドラマつくっていたんだから、テレビドラマが面白くないわけないと、あらためて思う。『昭和幻燈館』では他には、「消えた狂女たち」が印象に残っている。「保名狂乱」の記でわあるが、昔どの街にもいて、子どもたちから石を投げられ、けもののようにうずくまり、あるいは哀しく吠えて子どもたちに向かっていった「狂女」のエロティックなイメージが語られている。それを影から見ていた久世が書いている一文は強烈な印象となっている。「そして、あの日、あの時刻の小さな卑怯な勃起を、私は忘れない」。これを読んでしまった後、−−だからこそ保名だというのは理屈ではわかるんだけど−−保名もへったくれもなく、一種の贖罪をモチーフに、夏目雅子をモデルに写真集をとり、実際石までぶつけてすごい作品になったと、 (;´Д`)ハァハァしている久世はすごいと思う。さらに、夏目は撮影後「おもしろかったぁ」とゆったのだという。消えた朧なものが、雅俗混淆に描かれているここのエッセイ集を何度読みかえしたことだろう。そんな不潔な詠嘆をしたくなるような読後感を、いつも与えてくれる本である。
- 作者: 久世光彦
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1992/08/01
- メディア: 文庫
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