「つながりの発見」:発想法とブログ

 最近ブログのアクセスが減ってますねと言ってきた椰子がいる。実は、それは私が忙しいからである。つまり、実はアクセスのけっこうな割合が私のアクセスだからだ。忙しいのであまり自分で見ている時間がないとも言える。書き出すと見ない。発想が固まっているからだ。簡易型のデータベースのようにして、はてなを使っている人はかなりいると思う。私もそれをしている。しかし、私は京大式カードのかわりにこれを使っているようなカンジなのだ。日にち順にクリックして見てゆく方法。鍵語で検索してみる方法。カテゴリーで見る場合。アーカイブからたどる方法。いろいろ方法はある。逆にグーグルのほうから、「○○+inainaba」で検索することもある。

  • 日にち順に見る場合

 就職まわりのときなど、ノート何冊も生まれたときからのことを詳細に書いてゆくと、「人生のつながり」が見えてくることがあるということを学生から教わった。日記の楽しみは、アルバムを見る楽しみにも似ているだろう。断片的に思い出すことも楽しいのだが、職業意識を持っていろいろみると、いろいろな「つながり」が見えてくることがある。ダラダラと書きつけている日記だけれども、ボーっとしながらみてゆくと、思わぬネタを発見できたりする。なにも考えずに機械的にクリックしてしまっていることもあるけど、それはそれで良いのだと思っている。左クリックのカチカチが、発想法のリズムをつくっているとも言えるだろう。

  • カテゴリーで見る場合

 基本はいっしょだが、私の場合カテゴリーをあまりちゃんと設定していない。おっくうなのだ。何となく雰囲気でカテゴリーにしていることのほうが多い。そういう性分なのだと思う。だからこそ昔データベースソフトを何十万円も出して、藤森俊輔氏と共同購入したものの、うまく使いこなした藤森先生とはまったく対照的に私は1日で諦めた。つまり、テンプレートみたいなのをつくるのがものすごくめんどくさいのである。まあそれでも何となくでも分類したエントリーを見てゆくと、それなりの「つながり」が見えてくることもある。アーカイブだと、見出しをカテゴリー別に出すこともできるので、いろいろな思考実験をすることもできる。

 日にち別に見るのと同じようだが、もう少し大きい単位でものを見ることになる。ただ、KJ法的な発想法の原理から言うと、まとめてしまっているものをみるわけだから、問題だとも言える。これはカテゴリーの場合も、日にち別の場合も同じことだろう。

  • 鍵語検索を使う場合

 その点では鍵語検索は、もっと「こまかいところでのつながり」を発見できることがある。KJ法が一発想一カードだったのだが、これだと単語ごとのつながりをみることもできるとすら言えるかもしれない。しかし、どのような鍵語を使うかによって、もちろん制約はある。茶筅のような形態素解析ソフトのようなものと連動していろいろやっている人もいると思うし、簡単な道具も出ているのかもしれないとは思う。「発想の分析と総合」においてどうだとか、さらには「アブダクション」という観点ではどうなるのかとか、興味はつきないが、そういうところを実用化に向けて根気の要る作業をできるようなら、良い仕事ができたはずだから、私のようなアホには当然無理な作業だろう。
 もう一つグーグルからinainabaを見る理由は、へんなものを拾ってくる場合があるからだ。わりに面白い。
 もしかすると多くの人がいろいろやり始めているのかなと思う。しかし、そうういうノウハウには憧れるし、京大式カードも、KJ法も、超整理法の押し出し式ファイルもやってみたし、KJ法などはまだフロッピーの時代に専用のソフトまで買った。また卒論簡単作成みたいなサイトにあるノートソフトも買おうかと迷ったこともある。しかし私はそういうものをうまくつかない。押し出し式でもだめなのだ。封筒やフラットファイルだとなかが見えない。クリアホルダをたくさん利用しているが、結局縦積みに堆積し、ディガーズだぜと、解放思想を気どったりする始末。w 唯一和田秀樹式のなんでも段ボールにぶち込み方式だけが、私をいやしてくれるのだ。w とりあえずはてなにいろいろなものをぶちこんだ。そしていろいろジャキジャキ組み変わる装置で、自分の日記を見直して、考えている。後編集や置換がいろいろできると、もっと意外な組み合わせなどもできるのではないかと思う。しかし複雑になっても使いこなせないし、なんともにんともだ。検索をくり返し人のうちを見たりしているけど、なかなか上手くいかないものだ。