津島知明『動態としての枕草子』

 津島知明氏がご高著を送って下さった。津島氏は日本文学者。古典文学研究にポストモダン的な批評理論を応用しようと試みられたり、『枕草子』を英訳という視点から研究されたりしつつも、オーソドックスな研究を積み重ねられてきた。その重厚な実証的な研究成果をまとめられたのが、この本である。おそらくは津島氏にとり重要なステップとなる著作であることは想像に難くない。この時代に箱入りの硫酸紙のカバーが掛けられたハードカバーの書籍を出版されたことに表敬するとともに、心からお祝い申し上げたい。

動態としての枕草子

動態としての枕草子

略歴

1959年生まれ。國學院大学大学院(文化研究科)博士課程単位習得。専攻は平安文学。國學院大學東京工業大学、青山学院女子短大ほか講師。著書に『ウェイリーと読む枕草子』(鼎書房 2002年)、『女学生の玩具』(七月堂1989年)、『動態としての枕草子』(おうふう 2006年刊行予定)。編著に『枕草子大事典』(勉誠出版 2001年)、論文に「教科書の中の源氏物語」(『源氏研究』第8号)ほか。
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0507koza/A0601_html/A060111.html

目次

はじめに−−動態としての枕草子
一.枕草子が転生するとき
二.作者の流転/本文の軌跡
三.類集化する枕草子
四.響きあう断章たち
「私」について−−あとがきに代えて

 津島氏については、前にもこの日記のなかでとりあげたことがあったように記憶している。大学院生時代に東村山の補習塾でともにアルバイトをしていた。塾長が職人肌の教育者で、その人望もあり付近の中学から、やんちゃなガキたちが塾に通ってきていた。いわゆる番長グループに属するやつとか、ひきこもりのさきがけのようなやつとか、学校ではマークされているような連中が多かった。しかし、塾に来るとみんな生き生きとしていた。そいつらとぶつかりあって勉強することに一生かけてもイイかも知れないなどと思った時期もなかったことはない。まことに不遜な素人考えだったとは思うが、それほどにここでの手ごたえは生きる実感を与えてくれるようなものであった。岡山でも、女子大でも、ここで得られたような教育的な実感はいまだに得られていないと思っている。塾長が一目を置いていたのが津島氏であり、にこやかに悪ガキたちを教えていたのが印象に残っている。
 津島氏との会話は実に楽しかった。津島氏は同人誌に批評文などを発表したり、詩集を公刊されたりしていた。芸能界やその周辺の文化事情にも精通されていて、ソフトクリームというカルトなアイドルグループや、森雪之丞のすごさをはじめて教えて下さったのは津島氏であった。とうりゃんせやはないちもんめやかごめかごめなどについては、最近また注目されているけれども、津島氏はそうしたものと、久世光彦ばりの一種大正っぽいと言うか、女学生趣味と言うか、なんというか、私のような者の貧しいことばではとらえきれない独自の詩的イメージをいろいろなかたちで提示され、私たちはそれを存分に楽しむことができた。兼田みえ子の「詠み人知らず」の「清少納言が笑ってるホホホホ」というような歌詞の話だとかもそこで再確認した話題ではなかったかと思う。
 本のなかみについては、私のようなものが語るべきことではないだろう。専門的な手続きを踏まえた堅牢な著作でありながら、津島氏らしい感覚が章タイトル他からにじみ出ている。しかし、津島氏が「私は」ではじまる文章は書いてはいけないという戒律を自分に課していたという「あとがき」は興味深かった。