ゲームな暴力の是非

 本日の虎ノ門こちぢばは、『シンシティ』。今週の『文春』でもとりあげられていて、斉藤綾子、おすぎあたりも話題性は認知。唯一中野翠が点が辛かった。おそらくは井筒和幸は吠えまくりだろうなぁと思って見始めたら、最初からキレていることはない。さほどでもねぇのか?と思って目を移すと、あいかわらず生井亜実はしたたかな笑みを浮かべて手を振っていやがる。頭はパイナップルのよう。黛ジュンか、はたまたママドゥ・ドゥンビアかっつーの。でもって、白黒映画。でも口紅とか血とかは赤。ハリウッドスター総出演などと、要領よく作品を紹介する生井亜美
 見たのは吉祥寺バウスシアター。元アングラスペースっぽい映画館である。生井亜美「どうですかね監督☆」。井筒監督「こんな映画幕の内弁当にしただけやないけ。幕の内弁当なんて美味くないでぇ。1380円で東京駅で売っている。はっきり言うが国鉄からJRになってぜんぜんサービスなんってよくなってない。迎えがないやんけバカ野郎」。生井亜美「マンガが原作という趣向もございますが」。監督「たかがマンガやないか」。生井亜美「だめっすかね?」。井筒監督「あったりめーだ!!!」。生井亜美「あったりめーだ!!!ですか」。わーーー、怒りモードの井筒にこの椰子オウム返しやりやガッた、すげぇ。そしてさらにつっこみまくる生井亜美、怒りまくる井筒監督。またマンガ見下しパターンかと思ったけど、『スパイダーマン』の一作目はほめていたし 、このへんはことばの勢いだということはすぐわかった。理由は別のことだろう。つまりは「アメリカ」。この場合の「アメリカ」は国がどうのこうのとかいうことじゃないことは明らか。
 はじまってすぐ監督は、「最後までこれ?ヤダね、キツイわぁ」とシンシティな白黒映像に一発カマス。とりあえず最大の売り物に難癖。これは喧嘩の常道でござるな。このあとあくびしまくる監督、よいこ濱口「頑張れ監督!」。しかし声援もむなしく爆睡する井筒。終わりまでこれ。生井亜美はがちまぢで見ている。終わって監督「半分しか見てない」。生井亜美「マジッスか?」。井筒「なんで眠くなると思う?わくわくしないからや。あれだけ100人も殺しまくれば、眠くもなるわ。そんなもの見せるなドアホ」。亜美「アメリカでは出演者が殺到したそうですよ」。井筒「アメリカの俳優は人殺すの好きなんやなぁ」。亜美「女の人のためですよ」。井筒「人とタメに人殺すな。人殺しちゃあかん。人殺しはいけないとキマッとルンや憲法で」。わお、憲法か!生井「そうっすか」、井筒「おまえわかっとるんか!」でもって、「☆なし、評価不能」。井筒「わけわかめや!コミュニケーションブレイクダウン☆ちゅーやっちゃ」。生井亜美「コミュニケーションブレイクダウン☆すか?」。わはははは。生井亜美はすごすぎるな。井筒「阿鼻叫喚ちゅーやっちゃ。おまえわからんやろ」と吠えつかれて、暴力の虚しさにうなだれる井筒。生井亜美「キャハハハハ。また寝ちゃったの?か・ん・と・く」。すげーぜ生井亜美
 「アメリカ人」とはゆっているが、これはニューアメリカンシネマのアメリカではないいのだろう。殺しまくりがシュールに純化されて、サクサク殺して行くようなぶっ飛び映像が気に入らない模様。井筒「ボクは絶対ヤダ。劇画だからイイっていう理屈が気に入らない。ドキュンバコンが(・∀・)イイ!!、とかガキがよろこんでいるのはイクナイ」。テロとテロとの闘い。「テロをする側の論理」というのもあるだろう。しかし、日夜暴力が無軌道に純化されてサクサク暴走するのはイクナイ。日本人は秋はコオロギを楽しんだりしたなどと、花鳥風月にも言及しつつ、系列の朝日新聞にも噛みつく。「なんやこの評論は。こんなもののせやがって。チャンドラーとかスピレーンのハードボイルドの小説世界に通じるものがあるだろ。アフォいうな。何がタフで優しい男たちや。ここの局の新聞やろ。こういうのに書かせるな」。そして返す刀で生井亜美をばっさり「こいつも面白がっていルンや」。生井亜美まったく動じず「映像が(・∀・)イイ!!。スタイリッシュな映像が炸裂していた」。井筒「わかってるんか!ドアホ」。
 ここで、MEGUMI生井亜美に負けじと「.お迎えが来ないのに怒ったんですね?」。井筒「バカ野郎。そんなのしょっちゅうや。今にはじまったことじゃない」。カツマタは、監督がなんといおうと言いたいことがあればガツンという椰子だが、今回は監督に共感したようだった。「タランティーノがらみだと、最近こういう殺しまくりゲームになりますね。トゥルーロマンスのころまでは違っていたんですが」で〆て魅せた。マンガの定型化された無内容ななかみを原作に「空っぽな暴力」を映像化する。根本の問題は、アメリカ云々、暴力云々よりは、そういうスタイリッシュがどうかということだったのかもしれねぇなあと思った。