選挙が終って

 普段は週刊誌ばかりよんでいるのだが、選挙の時期になると普段は読まない昔からある月刊誌を読む。『文藝春秋』『中央公論』『世界』などなど。やはり読み応えのあるのは月刊誌で、週刊誌の筆致ではとらえられないようなコクのある言説に触れることができる。「官僚」に照準した文春が興味深いような気がしたが、気のせいかもしれない。月刊誌を読んでいるうちに、いくつかの本を思い出し、棚から出してならべて、比較しながらめくっている。うち何冊かは、同業者のあいだでは「愛読書」というのははばかれるというむきもあるけど、何度も読んでいるという点ではそういう言い方が適切かと思う。

聞き書 宮沢喜一回顧録

聞き書 宮沢喜一回顧録

自省録

自省録

オヤジとわたし 田中角栄との23年

オヤジとわたし 田中角栄との23年

 英米法の観点からすると、9条がらみの矛盾というのも、一定の年月を積み重ねてきた結果としてアリなんじゃないかという宮沢喜一氏の識見は、岩波書店が帯に書き付けてプッシュしたところのものであるけれども、こういういっけんぐにゃぐにゃした言説になごむのを感じる。それは、官学というか、旧帝大というか、そういうところとは別のところで学んだ自分というものを再確認する機会となる。大学の同窓会のぢいちゃんたちが、市民社会だとか、自由主義だとかを高らかにうたいあげ、「官学の連中とは違う」と自負しているのを見て、異様な感じがしたけど、こういう本を読むとそれなりに感じるところはある。まあバリバリの官僚派閥の人が書いた本ではあるわけだけど。一級上の中曽根氏の著作、中曽根氏と宮沢氏のやり取り。このあたりは日本の読書人は読んでおかなければという一冊なのではないかと思う。
 対して、テレビタックルでも怪気炎を萌やしまくりのハマコーさん、そして、元共産党員、その後池田首相に心酔し、そして田中角栄の秘書となった早坂さん、この二人の語り口は野趣あふれるものがある。読み込んでみると、政策的な方向性は明確であり、特に早坂氏の著作は今ではすっかり時代遅れになってしまった感のある公共投資歌舞伎まくりの図で、ある意味圧巻である。「オヤジは議員立法とおしまくった」というのが、キメ台詞として繰り返されるのであるけれども、それがダム、道路ナドナドがらみであることは非常に興味深いものがある。しかし、ともかく言っていることは二人ともメリハリきいていて分かりやすい。ハマコーさんの演説を一度聞いたことあるけど、凄いもんね。「自民党の先生たちはなんだかんだ言ってみんな親分がいるんだ。でも、自民党のなかで一人だけ親分がいないのがいる。それは誰あろう、この893者出身のハマコーだ!」とやると、富津あたりのおばちゃんおぢちゃんたちが、うぉおおおおおおおおおおとオー盛り上がりになる。角さんは、いまだに物まねの対象になっている。また元外務大臣の娘さんは声帯模写をしているんじゃないかと思うこともある。今ものまねの対象になる政治家って、合コン禁止になったあんちゃんくらいなんじゃねみたいな。
 論点を絞った選挙の勝利だということが、何度も確認されていくなら、一定の意味は持つと思う。正直ちゃんとやってくれるなら、税金多少は我慢してもいい。いやなことはいやだけど。消費税もさ、できたらカードかなんかで税率決めて納税して、それに応じて年金の額とかがよくなるなら、すげー%払ってもいいよ俺は。あと馬鹿な投資とかしないならね。ただ、ちょーしこいて、別の話をはじめるなら、別の話じゃね?みたいには思う。特に勤めている学校が、キャリア形成、男女共生、共同参画、女性学を中心としたカリキュラム展開とかしているから、妙なことにあると困っちゃうんですよ。