三浦展『下流社会−−新たな階層集団の出現』

 大学に行ったら三浦展氏より、『下流社会』が届いていた。三浦氏のアクロス時代の活躍などを思い出しながら、ぺらぺらとめくった。バブル期前後に、「階層消費」論は一つの頂点に達した。社会学的には、富永健一氏の階層研究=地位非一貫性論があり、そうした基礎研究の上に社会科学的な知見を刺激的に展開した村上泰亮氏の新中間大衆論、消費する青年他の能動性に着目した山崎正和氏の柔らかい個人主義論が論壇に登場した。そして、広告やマーケティング論の分野からも、藤岡和賀夫氏の分衆論、そして小沢雅子氏の新階層消費論などが登場した。そこでは、日本という「ゆたかな社会」、一億総中流化、ジャパン・アス・ナンバーワンなどといった肯定的な現実判断を基礎に、様々な議論が展開された。こうした議論をめぐって、岡山大学の藤森俊輔氏と毎日のように議論をしたことはなつかしい。当時藤森氏は、SSM調査のデータや、独自の調査データを用いながら、統計的な方法を実直に用いて、マルクス主義的な階級論とも一線を画しながら、階級階層消失論を批判する篤実で先駆的な調査研究を報告書としてまとめられていた。毎週のように研究会をして、お話が聞けたことは、非常に幸福なことであったと思う。
 そして、約20年の時を経て、「不平等社会日本」「希望格差社会」といった言説が、注目を集めるようになった。年収300万円時代、格差の拡大、ニートの問題などが、論壇で議論されている。そうしたなかで、階層消費論はどのように議論されるべきなのか、藤岡氏や小沢氏の著作の延長線上にある議論は、現実の問題=「消費者の分裂」にどのようにコミットするかといったことは、興味深い問題であるし、誰かが書くべき問題であったと思う。そして、アクロスにおいて新しいトレンドをつくりだし、独自の論を展開してこられた三浦氏がこの問題について論じられたことは、非常に興味深いことである。

  • 「いつかはクラウン」から「毎日100円ショップ」の時代へ
  • もはや「中流」ではない 「下流」なのだ
  • 「働く上流」と「踊る下流」との分裂
  • 上流は女らしさ 下流は自分らしさ
  • 「だらだら」してたらあなたは「下流
  • 「下」は自民党とフジテレビが好き
  • 「上流」はゆとり教育が嫌い

 といったキャッチ感のある文言が随所につかわれており、また独自の調査などに基づくデータがたくさん引用されていて、ギョーカイの人たちが「消費動向を読む」といった問題関心から読んでも充分に面白い本であると思う。しかし、本書は最近三浦氏があいついで公刊されている本に一貫する問題を、新しい切り口から示した本であるとも言える。端的に言えば、フリーターやニートの問題である。「下流」とは、仕事の意欲も、勉学の意欲も、コミュニケーションの意欲も、生活の意欲も、もとい消費の意欲もない人々であり、総じて人生への能力の低い人であると定義されている。楽だから、だらだら生きる。そんな人々を一喝するという確信犯モラリストの意欲が漲っている。

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

 私が三浦氏の本を面白いと思うのは、ファスト風土論を批判しつつスロー風土、スローライフ論を提示し、他方で「仕事をしないと自分はみつからねぇよ」と喝破しているところである。ファスト風土と「だらだら」の関連の洞察と、建設的な問題提起は説得的である。そして、それが−−うさんくさい「欲しがりません勝つまでは」式の禁欲的な議論でお説教をするのではなく−−消費をしないのはやばいみたいな議論になっていることも、見田宗介の『現代社会の理論』(岩波新書)などとも関わって興味深い。このような方向性の議論は、ナショナリズムや国家という方向とは違うやりかたで、股ぐら一本筋通す議論だと思うし、三浦氏のリベラルな相貌を思い出して、懐かしいものがある。論壇っぽい言い回しが横溢していて、「下層社会化を防ぐための機会悪平等」などの挑発的な文言などは、インパクトはある。このままでも売れる本だと思う。でも、学問的な禁欲や良識や品性などをかなぐり捨てて、電波にものを言ったら、たぶん3倍は売れるんじゃないかという気がする。言うまでもなく、そんなことはして欲しくはないのだが。

補足:下のコメントもご覧ください。