葉山嘉樹『淫売婦・移動する村落』岩波文庫

 夏休みに入り文庫棚を整理していたら、葉山嘉樹の文庫本が出てきた。初期プロレタリア文学の作家。小林多喜二などに影響を与える。プロレタリア文学というだけで、しょーもないものみたいな雰囲気が、マルクス主義の立場に立つ学生のなかにもあって、主義主張もへったくれもないとかゆっていた私なんぞは読みもしないでわかったような口を叩き、「蟹工船ヤバ杉」とかゆっていた。そんなとき、「リアリズムの技巧に学ぶことは、社会学をやる場合重要じゃないか」「しょーもないものも多いけど、『セメント樽の中の手紙』だけは読んでみるといいんじゃないか」などというようなことを言われ、買ったものだったような気がする。

淫売婦・移動する村落―他五篇

淫売婦・移動する村落―他五篇

 ストレートなイメージが鮮明な、つまりはべたな作品で、しかしガツンと伝わってくるものはあった。先輩も、誰かのうけうりだったのかもしれないし、あるいはおそらくはマルクス主義者だった先輩は、私についてのそれなりのプロファイルに基づき啓蒙しようとしたのかもしれない。つまり、歓楽街出身で、それなりの劣等意識と、京浜工業地帯の労働者のなかで育った私に、カチンコチンの労働者である葉山の作品を読ませようとしたのか、それとも併収されている「淫売婦」をこそ読めと言いたかったのか、あるいはまたお前なんか社会の底辺のての字も知らないくせにと言いたかったのかもしれないし、考えてもわからなかったが、今考えてみると、読んでよかったから薦めたッテくらいのことだったような気がする。葉山は、実際スゲー経歴の人である。

1894〜1945。福岡県生れ。早大高等予科文科に入学。海員を志望して登校せず。大正14年『淫売婦』、翌15年『セメント樽の中の手紙』を発表、既成文壇の大家からも注目を集める。『海に生くる人々』は日本の社会主義文学の中で最も芸術的にすぐれた作品といわれる。大正末期のプロレタリア文学の分裂の時代のあと、木曽に移り、『今日様』『子狐』などの作品を生み出し、のち満州開拓団に加わり、帰国の途中生涯を閉じる。
http://www.littera.waseda.ac.jp/sobun/h/ha031/ha031p01.htm
厳しい労働体験によって生まれた彼の文学は、当時の文学主義のリアリズムとは全く違った新しいプロレタリア文学リアリズムであった。木曽の飯場や山村での労働によって多くの作品を書いてきた彼が、満蒙開拓移民として満州に向かったのは昭和18年3月、50歳のときであったが、昭和20年10月敗戦によって引き揚げ途中、ハルピン南方、徳恵駅手前の車中で脳溢血のため死亡。遺体は駅近くの線路際に埋葬された。
http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/H/hayamayosiki.html

 一通り読んで、一番印象に残ったのは、「淫売婦」であった。題材への興味本位ではなく、書生じみた青臭いものに対する省察があり、絶望的な状況下にある者の残虐とやさしさ、悲惨と尊厳などが、描かれているからである。冒頭の附記も、小説的な技巧の一部なのだろうと思われ、「読めた」という満足感として記憶されている。先輩の薦めてくれた「セメント樽」はストレートにわかったが、むしろその先輩のことばをめぐるあれやこれやの思考として記憶された。岩波文庫版は、何度か復刊されているはずだが、今では入手困難ではないかと思う。ググったら、日本ペンクラブのHPにおいて、「淫売婦」を読むことができることが判明。一応URLを示す。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/novel/hayamayoshiki.html