三浦展『団塊世代を総括する』(牧野出版)

 集中から帰り大学のポストにたまっている郵便物を整理していたら、三浦展氏から『団塊世代を総括する』が届いていた。60年安保前夜に生まれた著者が、「仕事をしなければ自分は見つからない」というメッセージを発したあとに、今度は団塊世代の総括。おそらくは、「総括」ということばにはそれなりの含意があるのだと思われる。装丁に工夫も施され、一目見ると「団塊総括」という大きな活字が浮かび上がっている。そして、帯には、「物のなかった戦後に生まれ、ひたすら豊かさ=新製品を求め続けた団塊世代の人生とは何だったのか? 経済成長とともに肥大化してきた、その欲望のすべてに迫る」とある。そして、「彼らが時代を喰いつぶした」、「フリーターもニートもここから生まれた」、「彼らはなにをしてきたのか。何をすべきか」といった解読の糸口となることばが、読者を挑発している。
 本文は、「団塊総括」のための42の節からなっている。イメージマーケティングを主導してきた著者ならではの言語感覚で選び抜かれたことばが示され、また数値データが示され、ハンドブック、カタログ仕様といった特徴を兼備した本になっていると思う。それはひとつの「欲望紋切り型事典」というような趣向で執筆されているようにも思った。それは団塊の世代の「人間喜劇」への洞察を具現しているものであり、それがまたマーケティングの対象となっており、そこにおいてオトシマエをつけようとする、というかそこにおいてしかつけられないというような覚悟というか、そんなようなものを感じてしまう。それは、私が、福田恆存のモラリズムを耽読していた青年時代の三浦展を知っているからかもしれない。書影や、おおざっぱな本の構成を示しておく。

団塊世代を総括する

団塊世代を総括する

プロローグ 団塊世代とは何か?
第一章 消費する若者
第二章 ニューファミリーの光と影
第三章 マイホーム主義の末路
第四章 存在理由が問われる定年後
エピローグ これから彼らがなすべきこと

 この本が、『新潟日報』に連載された「団塊の履歴書 戦後そして地方の変遷」という記事をもとにしていることは、私個人としては重要なことである。ファスト風土、イオン文化について議論を展開してきた三浦氏は、新潟上越高田の出身であり、大学進学とともに上京した。私は、本書のなかにも、そういった痕跡を読み込もうとするのである。そして、本書のなかに「上京文化」をめぐる議論が多数おさめられていることは、非常に参考になる。「木綿のハンカチーフ」についての論及は、個人的には非常に興味深かった。
 岡山中心街にある映画街が、郊外のシネコンの影響をもろにうけている。さらにシネコンは増えようとしている。集中講義の出席者も「都心の映画館に行くと、買い物、食事と車を移動しなくてはならない。イオンならすべてがそこですむ。駐車場も立体式ではなくとめやすい」などと言っていた。他方、岡山グルメストリートというものが、新しくできる駅(北長瀬?)南の道沿いに広がりだしているのだという。たとえば松江の戦災に遭っていない商店街をよしとするスローライフは、ノスタルジーにすぎないのか?単なるスローライフ論ではなく、マーケティング論としてこれを展開している三浦氏の議論を参照しながら、問題を考えて行きたいと思った。