保坂和志『小説の自由』(新潮社)

 田中康夫もそうだけれども、同じ年齢の作家は気になる。多少なりともものを書く人間は、一度は作家になってみたいと思ったことがあるんじゃないか。私と同窓生に限っても、田中康夫文学賞を取ったとき、何人の人が原稿用紙を買ってきて、人に見られないようにして小説を書いて、そして挫折したことだろう。その数はけっして少なくないと思う。保坂和志は、もう少し遅れて賞をとり、私が岡山大学にいた最後の年に芥川賞をとっている。その保坂が、小説の読み方、書き方について本を書いたと聞き、本屋に走った。本の最後の行にある「いまの自分が小説を書いていなくても、このような本を読んでいろいろ考えをめぐらせるのは、小説を書くのと同じことだと思います。」という小島信夫のことばが、一つのモチーフになってこの本は書かれているのだと思う。目次その他を引用しておく。

小説の自由

小説の自由

概要

小説を書く人も読む人も、もうこの本なしに小説を考えられない、画期的な小説論。/小説は読後にテーマや意味を考えるものではない。小説はそのような固定した〈名詞〉でなく、読むたびに読者に向かって新しい世界観や人間や「私」についての問いを作りだす、終わることのない〈動詞〉の集積なのだ。誰よりも小説を愛している小説家が、自作を書くのと同じ注意力で、実際の作品を精密に読んでみせる、驚くべき小説論。
http://shinchosha.co.jp/cgi-bin/webfind3.cfm?ISBN=398205-5

目次

第三の領域
私の濃度
視線の運動
表現、現前するもの
私の解体
桜の開花は目前に迫っていた
それは何かではあるが、それが何なのかは知りえない
私に固有でないものが寄り集まって私になる
身体と言語、二つの異なる原理
彼が彼として生きる
病的な想像力でない小説
視覚化されない思考
散文性の極致

 網羅的に体系的な叙述がなされているわけでもないが、一つの視点をめぐって、ザクッザクッっと断面を示すような論考がならんでいるのは、『文章読本』『文学大観』の類をも想起させ、コクのある本に仕上がっている。文学云々というよりは、社会学の入門書を読んだり書いたりする場合にも、大きな示唆を与える本だと思った。今書いているミルズについての新著は、こんな風なものにしてみたいなぁと思い始めている。「読むこと」について書け、というのは、恩師である佐藤毅氏の遺言めいたことばなのである。