海老坂武『サルトル』(岩波新書)

 今日は社会学史と吉祥寺サブカル研究ゼミと非常勤二つ。社会学史で感想文を書かせたら、「もっと原典を読み込んで講義をしろ」という意見があった。私は「原書」「原典」というような言い方は実はあまり好きではない。が、ともかく書いた人の言いたいことはよくわかった。講義になんとなく浅薄なインチキ臭いものを感じたのだろうかなぁと思う。杉本栄一『近代経済学の解明』(岩波文庫)などを読んでみれば、反省しなくてはならない点はあまりにも多い。杉本のこの本は、岡山大学時代に読書法を学ぶのによい本の一つとして、ずっと推薦してきたものである。丹念に、しかし創造的な読むことを教えてくれる学史の本というのは存外少ないものだ。こけおどしの博引旁証とは無縁の強靱な読みをつぶさにすることができる。「古典」の息づかいを、躍動と厳粛を感じさせながら、論理的に考え抜くことを基調に読者に伝えてくれる本である。
 杉本の本とともに、もう一冊、海老坂武の『戦後思想の模索』(みすず書房)を、読書法の本として推薦してきた。自分の生と時代というものを関わらせながら、内省的に本を読む場合には、この本の行き方のほうがより学ぶことは大きいと思う。その他どの本でも、よいのだが、いろいろ思い悩んでいる頃に耽読したという点でこの本を推薦したわけである。海老坂武は、学部時代は「怒シビ」な仏語教師であり、「とってはいけない」と寮の先輩に念入りに釘を刺された教師の一人である。「海老坂と福井純は絶対とってはいけない」と心底の親切から先輩がアドバイスするような環境で学部時代をおくったことはまことに残念なことであると思う。今考えると嗤うしかない。大学院に入り、後輩の津田真人に「本の読み方は海老坂に習った」と言われ、はじめて海老坂の真価を知ることになる。フランス語のゼミに出て、いろいろ教わったというのである。津田のデュルケム研究に、知的興奮を感じていた私は、さっそく海老坂の本を買い、一気に読んだ。
 そして、今日メシを喰いに行った阿佐ヶ谷の本屋で、『サルトル』(岩波新書)を発見し、速攻買った。ファノンを語り、フランス留学を語り、シングルライフを語り、「造反教官」としての人生を語り、次になにを語るのかと思ったら、サルトルだった。海老坂武がサルトルの本を出すということは、今日においても、それなりの事件と言えるのではないだろうか。目次、本屋の口上などを引用しておく。

■目次
まえがき
I  『嘔吐』から─出発点
1 私にとっての『嘔吐』
2 〈人間〉の思想の萌芽
サルトルの肖像─1
II 戦争、収容所、占領─戦時下の思想形成
1 〈奇妙な戦争〉と戦中日記
2 『存在と無』を読む
3 〈アンガジュマン〉思想の形成
サルトルの肖像─2
III 自由の実現は可能か─戦後の展開を読む
1 実存主義宣言
2 自由と連帯─小説『自由への道』と戯曲群
3 『聖ジュネ』または非人間の復権
4 家族論として読む『家の馬鹿息子』
サルトルの肖像─3
IV 闘うサルトル─知識人としての〈参加〉
1 マルクス主義との格闘─『方法の問題』から『弁証法的理性批判』まで
2 「サルトルを銃殺せよ」─アルジェリア戦争
3 五月革命と毛派
4 葬儀の日
サルトルの肖像─4
V サルトル再審─二十一世紀へ
1 〈父親殺し〉の後に
2 破壊者/建設者、サルトル
3 友愛と暴力、そして倫理
4 人間化の運動─二十一世紀のサルトル
あとがき/参考文献/略年譜
岩波書店からの紹介 
 さらば〈ろくでなし〉よ!  ──『嘔吐』で鮮やかに登場し,小説家として,哲学者として,そして最大の「知識人」として20世紀を生きたサルトルは,2005年生誕百年を迎えた.世界的に血なまぐさい暴力が繰り返される今,時代に〈参加〉することを,〈人間〉とは何かを問い続けた思想が,新たなリアリティとともによみがえる。(ホームページには、「ジャン=ポール・サルトル、今年、生誕百年」という新書編集部古川義子氏の解説があります。http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0505/sin_k232.html
■新赤版 948
■体裁=新書判・並製・240頁
■定価 777円(本体 740円 + 税5%)
■2005年5月20日
■ISBN4-00-430948-4 C0210

 個人的には、Ⅳが一番読みたくて、この本を買った。なぜかと言えば、アルジェリア戦争五月革命、毛派などとの関わりは、ミルズを考える上でも非常に重要な問題だからである。それとともに、大学入学してまもなく、社会科学概論の授業で山中隆次氏が初期マルクスについて論じられ、そのなかで竹内芳郎『国家と文明』(岩波書店)の史的唯物論批判を興奮気味に紹介し、それでこの本を読み、さらにはサルトルの本を読もうとしたことがあるからである。いろいろな先輩友人と話しながら、私は「そっちの方」へは行かなかった。そんなことを思い出しながら、この本をざっとながめた。まだ読み込んではいないが、講義ぐらいはできるぜ。w またそんなことを言うと、学生さんに怒られそうだけど。冗談はともかく、一つだけ言うと、この省察的な本と、『嗤う日本のナショナリズム』を重ねて読むとどうなるのだろうかということが、まずアタマに浮かんだ。
 いずれにしても、海老坂武の本は、私にとり読書法の本である。それを、「古典を読み込むこと」が問題になった日に買ったのは、なかなか面白い偶然だと思う。