『社会学的想像力』復刊

 どうも、復刊ドットコム経由で『社会学的想像力』が復刊されるらしい。といっても部数は少ないようであるけれども。みくしのミルズコミュでも、sister_ray さんがこの件をいち早く伝えてくださっている。この件は、世界思想社の編集者Oさんから先週教えていただいた。いずれにしても、悦ばしいお話なのであるけれども、もしかすると今の私にはワールドダウンタウンのDVD化のほうがうれしいかもしれないという体たらくであり、深く反省しなくてはならないと、反省大安売りの今日この頃。
 http://www.kinokuniya.co.jp/01f/fukken/fukkan_list.html
 この件について、若手ミルズ研究者の中村好孝と話していたら、なんであんなミルズは必死なんだという話になった。今となってみると、パーソンズやラザースフェルトをそこまで必死に批判する意味がどれほどあるのだろうか?そんな話題である。中村氏によると、新しく出た英語版の『社会学的想像力』には、ジットリンが解説をつけていて、今必死になって批判するとすればフーコーなんじゃないかみたいなことを言っているらしい。これはこれで非常に挑発的な問題提起だと思う。けれども、その批判がどこまでアクチュアルであるかは、疑問が残る。「反省性の徹底」の様々なかたちに対する批判というのは、社会学的想像力の重要な意味あいだと思うが、『嗤う日本のナショナリズム』にそんな含意があることは、『図書新聞』のロングインタビューにもあるとおりであり、またこのブログでも紹介したきしさんの構築主義批判などは、また違う観点からそういうことを論じているようにも思う。「心理学化する社会」への批判なども重要な課題になるだろうが、それだけ言うとあまりに凡庸で馬鹿な言説と言われても仕方がない。おそらくはこの書物の今日的アクチュアリティとして重要な点は、後半三分の一だと思うが、それはまた近々論考として発表したいと思っている。
 こうしたやりとりやるーまそ関連のこともありいろいろ本を購入している。買い方が、わりかし体系的になってきたことが、若干復調の兆しと言えるかもしれない。社会学史の講義中でもあり、ニスベットから一定影響をうけている私としては、次の書物は非常に刺激的だった。外国に行って勉強して来るのがあたりまえの時代になってきているのだなぁと、感慨深いものがあり、加齢御飯さんの「老兵は・・」は冗談でもなくなってきているよなぁなどとも思った。

トクヴィルとデュルケーム―社会学的人間観と生の意味

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