師の教え−−『社会学評論』を読む

 師の教えなどというと、なにをトチ狂ったのかと言われそうだが、佐藤毅師のことばで一番印象に残っているのは「『社会学評論』くらいは全部目を通しているけどね」という自嘲がかったことばである。以来私は、「『社会学評論』くらい」は全部目を通すようにしている。っつーか、地区学会や、同人誌や、いろんな紀要などもできるかぎり目を通す努力をしている。最近は、なかなか熟読するわけにもいかないけれども、アブストラクトをみて、論旨の展開、引用文献、立ち位置などなどを確認している。そういうものに目を通さないことを自慢する風潮さえあるし、それはそれでまた一興だとも思うけど、それはたとえばさんまちゃんが若手のコメディアンが出るバラエティ番組などを隅々まで観る努力をしているのと、なくなった古今亭志ん朝さんがドイツ語の文献などを読んでいたというのと同じことだ。などというと、そんな大物と比較するもおぞまし、などと怒られそうだけど、まあ言いたいことは伝わるだろう。
 で、最新号の『社会学評論』「特集差異/差別/起源/装置」を教授会の間に読んだ。竹村和子氏の、問題の痛切な理解洞察に基づく、文献読みはキリッとエッジがきいているっつーか、なんつーか、さすがなものはあるわけだし、中河、好井、立岩、樫村、加藤、北田から、吉田御大までが、構築主義本質主義、差別やなんやらとのかかわりで、理論的な論を展開しているのは、最新文献めっけの一線から退いたところで仕事することに甘んじている者にも、すげぇなあと感心するところは多く、非常に刺激的であった。ブログ他では、最近は内藤朝雄氏が旬な話題になっているわけだけど、それを踏まえても問題の見取り図を学ぶにはよいなぁと思った。日本の文献を丁寧に読解整理しているという点で、天田城介氏の整理は私には読みやすかった。「抗うこと」という鍵語と和文献を多用した論述は、他の論文が「どうだ萌え萌えだろ」と、カチンコチンエレクト喚起の媚薬めいたかっこいい落としどころ、あるいはイカにもこの人という芸域のようなものを設定しているのに対し、あまりに地味だけれども、丁寧に考えられて、野太い思考がすすめられているので、とてもわかりやすい。最初に小説『介護』が提示され、「豚の思考」というイメージ喚起力のあることばが提示され、違和感が突き詰められることで論が展開されている。ねっちりした書きぶりは、一時期の海老坂武の粘着読みが横溢した著作@みすず書房なども想起され、面白かった。
 評論の特集号というのは、なんか昔の東映お正月時代劇映画のようなメンバーの重量級の豪華さと足して割ったような退屈さが混在してい留ように思うことが多いんだけど、この号はすごくうれしい特集だった。実は、私は学会のシンポの時もう一つの部屋に行ったので、立ち見の人が帰らないという熱気のシンポを聞き損なった。聞いた人たちの興奮気味な語りを聞き、失敗したと思ったんだけど、特集してもらって助かった。さらに内藤氏などもくわえて、もっと紙数を増やした論考に改稿し、どこかから出版してもらったらもっとセコハンユーザーとしてはありがたいのだが。それにしても今度の土曜日、ユニークフェイスの報告のある現代風俗学研究会と、ポピュラー音楽についての著作の合評会のあるポピュラー音楽学会の例会がバッティングしている。どっちに出るか。実に悩ましい。
 ちうところで、下衆ヤバ夫だね。昼蕎麦屋で読んだ新聞のテレビ版に「リチャホ、下衆ヤバ夫」とあったのは禿げしく笑いますた。