卒論面接はじまる

 今日は午前中青葉学園短大の講義。明大前の立ち食いソバはあいかわらず超満員でした。駅員さんたちも利用して入るみたいで、なんかつくっている人たちの人柄が伝わってきます。今日は試験直前ということで、出題範囲の復習をしました。というか、試験のヤマをバッチリ話しました。いつもうるせぇ椰子らが、今日は静かに聴いています。現金な椰子らだと思いました。午後から卒論面接があるので、今日は世田谷散策はせず直帰。
 ともかく大学に行き面接。非常勤の先生にお願いした卒論の副査です。まず、後輩のS氏のゼミから4人。ハイデルベルグ大学に留学した同氏の専攻は初期ウェーバーですが、身体論・歴史社会学のゼミを引き継いでくださり、週何回も来て指導してくださいました。もともとは良知力門下で、厳格な資料研究を重ねてこられた人です。文化社会学の英語の本を購読するなど、本格的なゼミをし、最初はちょっとぎごちないものがありましたが、最後は上手くゼミをまとめあげてくれました。卒論でなにを学び、四年間をどう締めくくり、卒業して行くかというようなことを一人一人に問いかけていたのは、感銘を受けました。
 そのあと、7人同輩のG氏のゼミの副査。同氏は、GT論の訳者として知られる人で、厳格な調査方法論を教え込むというシビアな指導をして下さいました。卒論のレベルも非常に高いものが多く、すげぇなぁとひたすら感心しました。やはり同氏も、社会学を学んでなに家自分が変わったか、そして卒論で何ができていて、そしてなにができなかったか、なにを課題として確認して卒業して行くかを丁寧に質問していたと思います。なかなか充実して、眠くならならかったです。一つだけ、「なんとか間に合わせて帳尻を合わせた」というカンジの卒論があり、その点は厳格に指摘していました。「表現が紋切り型だ」「論文に自分がないかも」などとアテクシが指摘したら、泣いた。うーん、今年初泣きが初日に出るとは思いませんでした。まあしかし、学問的な指摘をし戯けだし、特に厳しく言ったわけでもないので、これは本人の責任だと思います。毎年、一人くらいは泣いていると思います。これからまだ30人近く見ることになります。
 結局昼飯は食えずに終わり、そのあと大学院生と修士論文の仕上げの相談。かなりイイ結論に到達して、論文に「串が通った」カンジです。目次が単なる羅列ではなく、論理的にならびカツ全体を制御することばがツーーーっと通っていることを、こう呼んでいます。あとは、土日で整えて、全体をざっと添削して終わり。学部の卒論と違い、細かくは添削しません。しかし、摂食障害の主題で8人から聞き取りをしたことは、はじめた時期を考えるとよくやったと思います。理論構成も、河村望直伝のミードに、デュルケムとウェーバーを加味して、枠組みをつくり、なかなかのものになってきました。もう少し早くはじめていたらなあと思います。しかし、本人もそういう後悔に逢着したことは、論文が一定水準に達したことではないかと思いました。
 そのあと八時くらいになりまして、阿佐ヶ谷の福來飯店でチャーハンを喰い、この前迷った道を吉祥寺まで歩くことに。迷わず荻窪を超え、西荻へ。そこで、「犬のお巡りさん」を歌いながら、チャリをこぐ女性が追い越して行き、下衆ヤバ夫の替え歌の下衆下衆下衆下衆を思いだし、笑ってしまいました。これでかくっと来て、西荻から電車に乗ってしまいました。吉祥寺最短距離が、ガード下の怖い道を通るし、回り道する根性もないしということでありました。