野々村一夫『学者商売』『学者商売その後』

 研究者が自らの研究について語った本はけっこう多い。大学教授になり方を超馬路に書いた鷲田小彌太氏から、書斎やワインをまでの知的楽しみをなかば露悪的に語り同業者からは敬遠された渡辺昇一氏までほんとうにいろいろある。自らの人生について語ったものも多い。なかでも出色なのは自叙伝でありながら同窓の学者群像というか人脈社会学とも言うべきを堂々と描いた水田洋氏の『ある精神の軌跡』(教養文庫)で、第二次世界大戦前後の一橋大学の学問模様が実名入りであれこれ描かれている。文庫本だし、けっこうブックオフなどで安く売られている可能性はあるのではないかと思われる。水田氏がそげな本を書いているというのは前にも話した気はする。水田氏は、南方に兵隊として行ったときに、イギリスの施設かなんかでボルケナウの『封建的世界像から市民的世界像』へをたまたま手にとり、もう興奮状況でタイプかなんかして、戦後持ち帰り、『近代人の誕生』を書きマスタとか、平気でネタばれまでしていてなかなか面白い。同じく一時期ボルケナウにはまった者として、これはかなり感動的な話である。
 しかしまあ、エッセイとしての面白さということから言えば、野々村一夫『学者商売』であろう。ちょうど私が大学院に入った頃出たんじゃないかと思う。そして、けっこう院生に評判になった。野々村一夫と言えば、バリバリの社会主義経済学のセンセであり、泣く子も黙る経済研究所のスタッフである。経済研究所と言えば都留重人、「サムエルソン君、ガルブレイス君」とかゆっちゃう人が仕切っているところだ。社会主義経済論でも、市場経済などの枠組みを視野に入れた計画経済のあり方について手堅い成果が出されていた。アカデミックな世界標準の経済学をやっている研究所のスタッフが、そんな本を書いたということで、馬路かよとみんなかなりぶっ飛んだ記憶がある。要するに、ありえねー人が書いたということである。ところが読んでみたら、面白かったんだなぁ、これが。ググってみたら、新評論からオンデマンドで出ていて読めるようだ。書名検索したジュンク堂のサイトより。

 『学者商売』大学教授の生活の裏話とともに、論文の書き方、原稿料、蔵書の整理等、著者の知的生活技術を楽しく描いた「貧乏物語」。『学者商売その後』。大学を退官し私大で教鞭をとる著者の格闘と定年前後における私生活を社会批評とともに軽妙に綴った好エッセイ。

 筆致を一つだけ紹介する。都留重人は教養がないとか、言っちゃうのである。自分の方が圧倒的に小説の類だとかは読んでいる。これは比べようもない。ただ都留重人は、専門雑誌の論文などは、漏らさず読んでいる。ここが大きな違いである。なかなか諧謔の効いた筆致は、心地よい感じを読む人に与える。たぶん勉強の方法だとかそういうところは、今では通用しないところも多いと思う。また原稿料も当時の物価を知らないと、しょうもないところはある。しかし、ちょっと想像力と創造力をはたらかせれば、けっこう役に立つ知見が詰まっている。大学院に入った頃よく読んだ本であり、時折借り出しては読んだりしている。この本は持っていない。というか、大学院に入った頃は金もないし、商売道具の本以外はなかなか買えなかった。
 商売道具も、多くははコピーして読んだ。考えてみると、当時は神業のようにコピーが早かった。本をコピーする手さばき、指さばき、本をガラスから離し、次のページをそこにおくタイミングなど、今では絶対できない。すごい人は、A3で2冊どりをしていた。これがもう両手使って、すげかったなぁ。まあそんな時代の勉強法の本。「商売」と書いているところが当時としてはとても斬新で、ちょっと禁断な香りがしたものである。