朝7時からの勉強会に驚嘆

inainaba2004-12-22

 朝8時におきて、50分の伯備線に乗り込むと、市内循環バスにちょうど間に合う。とりあえず前半は体力温存ということで、今日もバスに乗った。最近は歩いてもたいしたことはないのだが、最後の坂はかなりつらいものがある。頼久寺にも寄りたいのだが、ちょっと無理がある。帰りもバスに乗っている。うちの大学と一緒の教団である高梁教会のクリスマス飾りライトアップをぜひ写真に撮りたいが前半はじっと我慢なのであった。朝行くと、昨日も一人だけ早く来ていた人がいる。「はやいね」と言うと、「朝7時から勉強会をしていますから」と言った。工工エエエエ('Д`)エエエエ工工。馬路かよと思った。そうしたら、「土日も毎日集まっている」という。そして、「先生は6時くらいからみえている」という話だった。研究室は開放され、学生がそこに集まっているのだろう。地方都市の大学ならではの風景だと思う。部室や、お店にたまるというのではなく、研究室にたまる。面倒見のいい先生や先輩がたくさんいて、楽しいイベントが目白押し。非常になつかしいものを感じた。私も一時期そんなことばかりしていたわけだから。しかし、それにしても7時というのはすごい。
 これに対してはいろいろな意見はあるだろう。しかし、別に強制しているようすもなく、来たい人が来てやっているかんじで、とやかく言うことではない。むしろ熱心さに私は感心した。アポイントをとっても教師にすっぽかされることがあるのが、一流と言われる大学ではよくあると思う。すっぽかすのがステイタスというような空気もないではない。すっぽかされたほうも、けっこう誇りに思ったりしていると言えなくもない。それもまたひとつのあり方だ。とやかく言うことではない。問題はどんな師を選ぶかだろう。師を選んだあとで文句を言うのは間違いで、自分にあった教師を選べばいいと思う。あるいはそういう教師の多い大学を選ぶことだ。丹念に下調べをするべきであって、数字だけでは割り出せないものがある。面倒見のよさということで言えば、地方都市の大学は確率的には相対的に満足度は高いのではないかと思う。私が年間1回しかコンパをしていないということを、信じる岡大の教え子、あるいは女子大の初期の教え子はいないと思う。最近めっきり面倒見が悪くなっている。それは年齢だけの問題ではないと思う。
 熱心に聴いていたその学生が、突然「もう来れない」と帰ってしまった。なにか気に触ったことでもあったのだろうか。まあ、話があちこちにとぶ悪い癖が出ている。多くの人を寝ないで聴かせようとすると、どうしても雑談や余談で起こしにかかったり、笑いに逃げたりする。かなり綿密に準備していても、丁寧に聴く人には、うっとおしいのだろうなぁとも思った。「生活史」という講義なのだが、自我論っぽい話になっている。最後時間があったので、ワールドダウンタウンの最終回のビデオがあったのでみせてしまった。どうもこっちではやっていないみたいなのだ。昨日のお台場明石城も、一ヶ月以上前のものだったと思う。「さんまの筆おろし」の試作品放映の巻。あれかなりまえだよね。東京で最新の番組を録画してもらったのがあるので、また見せてあげようと言ったらけっこう喜んでくれた。まあ、本題とはことなるけれども、そこは専門が専門だし、ただ見て終わりというのではなく、そこそこの意味づけや理屈づけはできる。留学生の人もいるし、討論するのも楽しい。夏の勧告のお笑いほどの成果はまだ得られてはいないが。
 今日の写真は夕刻の吉備国際大学ライトアップの模様。